コロコロvs抜け毛

「自分自身との終わりなき闘い」

プロットについて

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 どうも、冬花です。

 

 このブログにおいて、小説を2作品公開させて頂きました。

 

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 このうちの「名もなきファンタジー小説」に至っては、僕が人生ではじめて書き上げた小説となります。

 

 この小説を書きあげて後々感じた問題点である「プロット」について、思うところを少し書きたいと思います。

 

 僕の性根は基本的にヘラヘラしており、すぐ「目くじら立てんなよまあいいじゃん」って思っちゃうタイプなので、他人の作品の評論はおろか、自分の作品ですら一体どこがアラなのかを未だに完全に把握していなかったりするんですが、でも確固としてわかっている(中身は漠然とだけど)問題点として、「何も設計せずにガーっと思いのままに書いてしまった」という事が挙げられます。

 

 書きたいシーンがパっと頭に浮かび、そのシーンに早く行き着きたくてガーっと書いちゃうって宮部みゆきさんが言ってたんですが、まいったな、僕まさにそれですね。

(物書きの世界において宮部みゆきさんが神なら、僕なんてハエのゲロみたいなもんですが)

 

 でも「名もなきファンタジー小説」はまさにそうだったんです。

 

 キレイな海があって、ドバイのブルジュ・ハリファみたいな建物が視界の左端にあって。
 で、主人公がたどり着いた海辺には、そこで質素に暮らしているのであろう、ひとりの老人の姿。
 老人は(現実にあり得るのか否かはさておき)潮が引いた浜で、氷上の穴釣りのように釣り糸を垂らして椅子に座っている。

 こんな絵が脳裏にパッと浮かんだんです。

 

 浮かんでしまったからには書きたい。早くそのシーンにたどり着きたい。

 

 だけどそのシーンは最初のものでも最後の方でもなさそうで、何の根拠もなく漠然とだけど、全体の三分の二くらいの位置づけで、何かそこで大きな出来事があって、クライマックスへと向かっていく。
 そんな感覚を覚えたんです。

 

 そんな取っ掛かりから、考えながら書く、書きながら考えるという感じで作ってしまったものだから、「名もなきファンタジー小説」は純文学でもないエンタメ性もないという、よくわからない作品に仕上がってしまいました。

 

 この後に僕は、小説づくりには「プロット」がまず必要なのだという事を知りました。

 

 プロットとは。ネット上に詳しい方の説明が山のように溢れかえってるのでいちいちここで語るつもりはないですが、カンタンに言うなれば設計書というか概略というか、てな物ですね。

 

 わかりやすく言うと四コマ漫画的な起承転結。

「まず」

「それから」

「ところが」

「そして」

 という風に、物語の構成を作る。

 

 で、各コマごとも、もう少し細かく詳しく、ああだこうだと練っていく。

 

 そういえば乙一さんが、騙されたと思って起承転結それぞれを全部同じページ数で作ってみな! 的なことを仰ってました。
 理系な物書きさんにはしっくりくるやり方かもしれませんね。
 ほかにも島田紳助さんが他人の漫才を書き写して、セリフ量やテンポなんかを分析したって言いますけど、その手の方策が好きだったり得意だったりする人には良いことかもしれません。

 

 ……脱線しましたが、プロット。

 

 要は、何も考えずに行き当たりばったりで本番に臨むんじゃなくて、自分の中でしっかりと最初から最後までを作り上げておきましょう、ということなわけです。

 

 で。

 

 プロ作家でもない僕が言っても何の説得力もないかもしれませんが、ここで、

「プロットとはかくあるべき」

 とがんじがらめになる必要性はない、と思っています。

 

 ここに囚われてしまって、いつまで経っても能書きばかり垂れて、肝心のブツを世に出せないという人、意外と多いんじゃないかなと思ってたりします。

 

 僕が20歳くらいのころ。とある仕事先で、同年代の作家志望者と出会ったんですが、

「何枚くらいの小説を書こうとしてるの?」と問われ、

「さあ……。まだ書き上げたことないからわかんないけど、200枚くらい?」と答えると、

「じゃあ本編と別に、200枚の設定が必要だね。ちなみに俺は原稿用紙300枚の本編を考えてるから、300枚分の設定を書かなきゃいけない。ああっダリい~

 とかのたまってたんですが、たぶんコイツも売れないと思いました。

 

 まあ彼が言ってたのは設定全般における文書量の話でしたから、プロットに限られた話ではないのですが、いずれにせよ僕は、世に出る本編の裏側にある設定部分に関して、必ずこうでなければならないというガチガチの決まりなんてものはないと思っています。

 

 だって、成功者=プロ作家の意見もてんでバラバラなわけですから。

 

 箇条書き、殴り書きで整理できている人もいれば、Excelなんかで起承転結それぞれの大きなハコを作って整理してる人もいれば、本編さながらのガチ文章で本編の圧縮版ように書き綴る人もいたり、様々なようです。

 

 他人には散らかって見える部屋でも、本人にとっちゃそれぞれがベストポジションをとってるなんて話、よくありますよね。

 

 脳内もまさにそうで、人それぞれ。

 

 手書きかPCか、ツールは、どんな様式・体裁か、どんな文章か、とか、うだうだ悩んだり人の意見に頼りすぎたり、人の様々な異論に振り回されたりして混乱する必要なんてないと思います。

 

 自分のつくった物語なんですから、自分自身のやり方で理路整然とできていれば、それで十分だと思います。

 

 起承転結にしたって、さっき僕、

「まず」

「それから」

「ところが」

「そして」

 と書きましたが、「転」ってなんだよ! 「ところが」ってなんだよ! 必ずしも転じれねーよ! 俺の書きたい話、そこで転じれねーよ! ってなっちゃうケースもあると思うんですけど、これだって別にがんじがらめになる必要ないと思うんです。

 

「導入」

「展開」

「盛り上がり」

「結末」

 って風に捉えていいと思いますしね。
 イントロ、Aメロ~Bメロ、サビ! くらいに捉えて良いんじゃないでしょうか。

  

 てことで以上、宮部みゆき論法で創作デビューして華々しく散った小市民が、生意気申しました。

 

 

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