どうも、花城 冬と申します。
小綺麗な名前を語ってますが、オッサンです。
(名の由来はプロフィールを読んでいただければ幸いです)
さて、いの一番に、絶対言っちゃいけないことを言います。
ここは平凡なサラリーマンの創作公開ブログです。
お、おう……と思ったアナタ、初見の印象で判断しちゃダメです。
念のためもっかい、噛み締めて、再確認してみましょう。
ここは、「平凡」な「サラリーマン」の「創作公開」ブログです。
やっぱぜってーつまんねーわ、ここ。
……とニヤついてくれたアナタ! そんな嘲笑するスタンスで構わないので、ちょっとだけでも覗いていきませんか?
アナタが嘲笑してくれれば、平凡なサラリーマンが、喜びます。
◆僕という人間
僕はこれまで関西と関東を約20年ずつ生きてきて、今は大阪にいます。
今後どこでどうしてるのか……正直まだわかりません。
いや、決していい歳こいて「自分探し」してるわけじゃないんですよ。
詩集を読み終え、ため息をひとつ。前髪をかきあげ、煙草の煙をくゆらせながらアンニュイな表情で窓の外を見やる……。
そんな自分に酔いしれたことも一、二度あったと思いますが、遠い昔の話です。
僕はすでに自分を見つけました。数年前に。(遅い)
しかし、その理想と現実の距離感ときたら……。
というわけで、僕はその距離感に苦悩しながら、ジャン・クロード・バンダムの開脚並みに両脚を広げて二足のわらじを履き、ジリジリとここ数年を生きてきました。
◆苦悩を経て
数年前。仕事においてもプライベートにおいても、決定打はないけれどもじわじわとボディブローを食うような、そんな日々を送っていたあるとき。
酒に逃げていたことも相まって、ついに僕は心身ともに調子を崩してしまいました。その時期を境に僕は毎日苦しみ、自殺とまではいかないけれど、やがて死を意識するようになりました。
「こんな調子がもし一生続くとしたら……ちょっと、生きてく自信ないな」
そんなある日のことでした。フと思っ……いや、気力が湧いたんです。
「今日が人生最後の日だと思って、一生懸命生きよう」
それは、最後の気力、といっていいものでした。
”過去を悔いてる10年後の自分が、タイムスリップで帰ってきてる。それが今だ”
この手のポジティブな煽り文句って、世の中に溢れかえってますよね。
きれいごとだとか、青臭いだとか、そんな風に鼻で笑うことすら馬鹿馬鹿しくなるくらいにこの世に溢れかえりすぎていて、まったく胸に刺さらない、心を打たない言葉。
でもこれがね。不思議と、自分から湧きあがって、そして自分の芯を突いたんです。
あれこれ不満はあれども、まあ何だかんだ、何となく生きている。そんな状況下じゃ、ポジティブなアツイ言葉なんて響かないんですよね。
友達、先生、同僚や上司、親、映画、音楽、それこそ詩集(笑)。
人は、そんな外部からのお説教なんかじゃ、なかなか変わらないんです。(少なくとも僕は)
僕のような根っからのダメ人間は、死を真剣に意識してはじめて、生まれ変わろうという活力が湧くんだということがわかりました。
自問自答の末、僕は死ぬ前にやり残したことを見つけました。
僕が見つけたもの。それは、過去に置いてきたままの夢でした。
小説を、書きたい。
◆落選続きの数年~そして今
2012年から奮起した僕は、2013~2015年の三年間で、計7つの新人賞にチャレンジしました。
恥ずかしながら、いずれも夢叶うことなく、2018年夏の今現在、僕はゴマンといるアマチュアの一人です。
しかしこの継続的な活動は僕を変えたと思います。
仕事と創作活動という二足のわらじの日々を送っているうち、いつしか心身ともに復調していました。
一番のターニングポイントは、一作目を書き終えて、二作目へすぐ取りかかったこと。
12万字からなる一作目を書き終え、それを新人賞へ応募すべく郵便局へ持って行った僕は、もう振り返ることなく、家に帰るとすぐ二作目にとりかかりました。
まだこのときは心身不調──死の意識があったので、書きたいものを書ききりたいという思いが強かったんですね。
というわけで過去を振り返ることなく二作目にとりかかり、これまた10万字以上の作品を書きあげたその頃には、僕のなかに「継続して書く」という筋肉がつき始めていました。
これがいちばんの収穫だったと今でも思っています。
僕のような基本ダメ人間は、根っからのクズではなく、たまに一念発起しようとするんです。
新年を迎えるとき。節目の年齢になったとき。自分や周囲の近しい人間に大きなイベントがあったとき……。
そんなとき、フと原点に立ち返って、よし頑張ろう生まれ変わろう、と思うのだけれど、それが長続きしない。
数日頑張るんだけれども、何かのちょっとしたキッカケでダメに戻ってしまうんですね。
そんな僕が、12万字の処女作を書き終え提出する、という一区切りがついたとき、休むことなく次回作にとりかかったのは、本当に良いことだったと思います。
それもこれも、死を意識──死と隣り合わせだったからこそできた芸当です。本当に。
馬鹿は死ななきゃ治らない。なるほどそういうことか!って感じです(笑)。
以降僕は、ニュートラルな状態で、創作活動に励むようになりました。それが上述の、三年間で7つの新人賞=7つの作品、のことです。
花城 冬(ハナシロ フユ)というペンネームで小説執筆活動をしていますが、生憎ここ数年は、執筆ペースが落ちています。
ジョブチェンジのせいで激務に忙殺され、書く時間がないという単純な理由がひとつ。もうひとつは、賞の締切に向けて慌てて書きあげるというやり方をしてしまっていたので、それを改め、じっくり納得のいくものを書こうというスタイルに変えたことが挙げられます。
が、こちらはこちらで頑張っていきますので、応援いただければ嬉しいです。
◆だからブログをはじめる
僕は、文章を書くことが好きです。
その理由を自分で追ってみたこともあるのですが、未だによくわかっていません。
ただ、小学校5年生のとき、「自学」と銘打たれた自由課題の宿題が毎日あったのですが、僕は数ヶ月間、それを一切提出したことがありませんでした。
宿題を出さない男として名を馳せていた僕ですが、あるとき何の気まぐれか、フとその宿題を提出し、担任の先生やクラスメートを驚かせました。
その自由課題の宿題の内容は、短編小説でした。
なぜ小説を書いたのか。いまとなっては記憶が定かでないので理由がわかりませんが、そこを深堀する行為そのものに意味や価値があるのか、それもよくわからないので、そこは置いておくことにします。
ただ言えるのは、どうやら僕は、文章を書くことが好きなようだ、ということです。
そしてもうひとつ、僕には好きなことがあります。それは人を笑わせることです。
僕は口数が多い方ではないですし、決して話し上手というわけでもありません。明るいか暗いかでいったらやや暗い方でしょうし、外向的か内向的かでいうとやや内向的な部類の人間です。
ですが僕は、人を笑わせることに快感を覚えるタチの人間です。
文章を書くことが好き。そして、人を笑わせることが好き。
僕は中学生のころ、このふたつを併せ持った存在に出会いました。
それは、ちびまる子ちゃんでお馴染み、さくらももこ氏の「もものかんづめ」というエッセイでした。
抱腹絶倒とは、まさにこのこと。
「もものかんづめ」は、いまでも僕のバイブルです。
これに触れた影響か、いつしか僕は、こう思うようになりました。
文章で人を楽しませたい。
小説の創作活動はまさにそれです。
かつて純文学かぶれの友人に僕の作品を読んでもらったときのこと、読後にひとこと、
「で、何が言いたいの?」
と言われたことがありましたが、僕の小説にそんなもん、ありません。
僕の書く小説に、伝えたいメッセージや盛り込んだテーマなんてものはなく、単純に僕が面白いと思うお話を書いているだけです。
この考えに基づいた活動は、今後も続けていくつもりです。
そして、もうひとつ。できることがあることに気付きました。
思うがままに、面白おかしく雑文を綴る。それって……
…ブログでできんじゃん!
ということに、2018年、今更ながら気付きました(笑)
というわけで僕のブログ、スタートします。
よろしくお願いします!
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