コロコロvs抜け毛

「自分自身との終わりなき闘い」

名もなきファンタジー小説(3)

★アマチュアファンタジー小説家応援企画★
 むかし人生で初めて書いたファンタジー小説を公開します! プロットって何?って知識レベルで思いつくまま書きなぐった黒歴史。恥さらし上等、アップするにあたり修正なし。


 名もなきファンタジー小説(3)

 

 土質は、生まれ育った町のそれと、さして変わらないように感じたが、初めて目にする新鮮さとその広大さ、そして長い時間雨に打たれた影響ですべてがトーンダウンしたことなどが相まって、ナギの知る世界とはまったくの別世界がそこには広がっていた。
 町との特筆すべき違いは、痩せた木々の茶色と、雑草の緑とが、ところどころに存在していることだった。
 呼吸が落ち着いてきた。
 振り返り、町を見る。
 こちらの大地の方が、いくらか高く位置しているらしい。ここから町の様子がよく見えた。昨日、ベルベルルの家から見た、旅人たちのシルエット。いま自分は、その場所に立っている。
「ネルコ」
 ネルコは大丈夫だろうか。小屋の影で三人が重なり合って見える。何かを話し合っているのだろうか。
 確認することはできない。だが間違いなく、ネルコは脱走に協力してくれたのだ。
 出の禁を破った者は、二度と町には戻れない。ではその共犯者は一体どのような罰を受けるのだろう。それが町長の娘とあったら、一体どのような扱いとなるのだろう。
 ベルベルルの家を望む。そこには誰の姿もなかった。
「ごめんよ、ネルコ」
 ナギはもう一度坂下に目を向けると、新世界に向き直った。
 二十五歳未満の若者は町の外に出てはならないという(出の禁)を、ついに破ってしまった。もう後戻りはできない。
 だがこの景色は、父をはじめ町の多くの大人が見た景色なのだ。
 これを手に入れるために?
 そう考えてしまうと、自分のしたことの代償が大きすぎる気がした。
 ナギは強く目を瞑り、首を振った。
「ここは始まりだ。この景色がゴールじゃないだろう。行くしかないんだぞ」
 自らを鼓舞しようとしたが、映る世界はあまりに単調で広大だった。
 どこへ進めば良いのか。
 ナギは雨避けの頭巾を脱ぎ、ポケットに突っ込んだ。雨の冷たさを感じたかった。
 ナギは不安を取り除くため、走ることにした。苦しみで不安をかき消してやる。
「行き先は、まっすぐだ」
 もちろんまっすぐの先に何があるのか知る由もなかったが、そうする他なかった。
 ナギは走り出した。

 

 走る。疲れて歩く。休む。
 走る。疲れて歩く。休む。
 ナギは愚直に、これを延々と繰り返した。
 はじめ、前方およそ百八十度に過ぎなかった新世界は、いまや三百六十度すべてとなっていた。
 こうなると、まっすぐに進むという芸当を自分の足取りだけを頼りに実践することは困難になってくるが、はるか前方、地平線の彼方に見える岩山のおかげで、ナギはそれを目印に進むことができた。恐らく道筋はさほど外れていないはずだった。
 何本も通り過ぎた枯れ木たちは、ずっと枯れたままなのか、ナギには分からなかった。しかし朽ちているというほどではないことと、ところどころに雑草が見受けられることから、ここは決して死に絶えた大地ではないということは確かだった。
 それにしても喉が渇く。
 足が疲れる、息が切れる、腹が減るなど、想定していたとおりのつらさがいくらか押し寄せてきたが、中でも喉の渇きがいちばんつらかった。
 もちろん水を持ってきていたが、思うに任せて飲むとすぐになくなってしまう。旅が初めてのナギでも、水は分量を意識しながら大切に飲まなければならないことは分かっていた。これが尽きる時は、命が尽きる時だ。
 天気が雨で本当によかった。これが、太陽の強く照りつける晴れた日の出来事だったら、早々に音を上げていたかもしれない。ナギは思った。
 それにしても、町を出ようと決意した次の日がちょうど雨になるなんて。きっとこの旅は、祝福された旅なんだ。
 勇ましい気持ちと不安とが、波のように交互に押し寄せてくる中、ヴィンテージ・セロの頼もしさを頼りに、ナギは進み続けた。
 やがて、雨がやんだ。
「いったん休憩にしよう」
 ナギは枯れ木を見つけると、満足げに座り込んだ。
 初めての旅。一人旅。進み具合が良いのか悪いのかさっぱり分からなかったが、体力の続く限り、頑張ったと思う。
 ナギは背中に背負った鞄の中から、パンと毛布を出した。
 毛布にくるまり、パンをかじる。
 パンを二口ほど食べたところで、ナギは眠りに落ちてしまった。

 

 カッ、カッ、カッカッ
「う、うん」
 バサッ、バサバサッ――
 ――カッ、カッ
「ん、うん、うわっ」
 バサバサバサバサッ
 ナギは目を覚ますと、無数の黒い鳥に囲まれていた。
 ずっと嘴でついばまれていたのかもしれない。鞄の口が開き、パンがなくなっている。
「くそう、パンを盗んだな。そこのお前、人のパンを咥えやがって」
 ガーッ、アーッ
 ガーッ、アーッ
 ナギが一羽を指さすと、一斉に非難を浴びた。パンを咥えた鳥も大声で鳴いたため、口からパンがこぼれおちた。
 それを拾い上げてまで取り返す気にはなれない。ナギは舌打ちした。
「人の物を盗んでおきながら、何か文句を言ってやがる」
 ナギが毒づくと、さっきの鳥がまたパンを咥えた。
「許さないぞ」
 ナギは毛布の角を持ち、大きく振りかざした。
「僕のやり方で、成敗してやる」
 ガーッ、アーッ
 ガーッ、アーッ
 ナギの様子に鳥たちは警戒し出したものの、まだ何が起こるのかわからず、ナギを非難し続ける。
「翼を広げた貴様たちより大きかろう。恐怖に慄くがいい」
 ナギは茶色い毛布をぶんぶんと振り乱しながら、鳥の群れの中へ突入した。
 バサバサバサバサバサバサバサバサッ
 ガーアーッ、バサバサバサバサッ、ガーアーッガーアーッ
 鳥たちがパニックを起こし、一斉に散り始める。
 ナギは無言のまま毛布を振り続け、蛇行した。
 さっきの鳥がまたパンをこぼした。
 ガーッ、アーッ
 ガーッ、アーッ
 ナギは勝利を確信した。
 毛布を下ろし、パンを拾い上げる。嘴に咥えただけだから、それほど痛んでいるわけではなかったが、やはりそんなものは今さら食べる気にはなれなかった。
「パンは盗む、人の眠りは邪魔する、本当ろくなことをしない奴らだな」
 ナギは空を睨み付けた。
「二度と近寄るな!」
 パニックを起こして上空で旋回し続ける鳥の群れへパンを投げると、群れの中の一羽がパクリとキャッチした。
 ナギの怒りは頂点に達した。ナギはもう一度、毛布を振り始めた。

 

 走る。疲れて歩く。休む。
 走る。疲れて歩く。休む。
 一体どれくらい進んだのだろう。岩山は少し大きく映るようになってきたが、相変わらず三百六十度の景観は変わらない。
 初日にしてすでにパンがないというのは痛手だった。鞄の内ポケットにしまってあった干し肉の保存食が無事に残っていたため、それを齧ることにしたが、口はともかく腹はなかなか誤魔化せない。
 さらに、すっかり天気が良くなったことで蒸し暑さがひどくなり、じわじわと体力を奪っていった。
 ナギは水筒に口をつけた。水はまだまだたっぷりあるが、これだけでは心許ない。
 ナギの旅は早々と苦難を迎えた。
 歩く。疲れる。休む。
 歩く。疲れる。休む。
 ナギはいつしか、守っているつもりだったペースを守れていないことに気付いた。走る元気がない。
 そんな主人と打って変わってヴィンテージ・セロは快調で、一歩一歩、雨上がりの湿った土の表面を噛み、その凹凸でブロックのように固めては、吐いた。
 一度休むと、次の動き出しが逆につらくなるような気がしたため、ゆっくりでいいから歩き続けることにした。
 あの後、ネルコはどうなっただろうか。
 今ごろ、母さんはどうしているだろうか。
 思いを馳せていたら、いつしか前方から西日が射し、岩山の山肌を赤く染め上げていることに気付いた。
「もう、そんなに」
 ――そんなブーツじゃだめだ。
「本当だな、ゼフ」
 世界が闇に支配される前に、寝床を探さなくては。
 ナギは目ぼしい枯れ木を見つけると、膝から崩れ落ちるように座り込み、そのまま横になった。
 岩山が大きく映っているのが救いだった。間違いなく、進んではいる。
 干し肉を齧り、空を見上げる。明日はどうなっていることだろう。体力はどこまで持つのだろう。
 夜には早かったが、ナギの疲れは限界に近付いていた。
 ナギはゆっくりと目を閉じた。

 

 夜が更けた。
 ナギは毛布をかぶるのも忘れたまま、枯れ木の傍に横たわっていた。疲労のため、大きないびきを立てて深い眠りに落ちている。
 ナギの様子を伺っているものが、あった。
 長く、太く、いびつな紋様のぬめる胴体の先で、点に等しい小さな目を狡猾そうに光らせている。鎌首をもたげて様子を伺っては、頭を下げて這いずり寄る。
 ズ、ズ、ズ……
 さらに後ろ、その様子を伺っている男がいた。
「おい」
 注意喚起。ナギへ声をかける。
「おいっ」
 大声で呼びかけるが、ナギは一向に起きる気配がない。その一方で、ナギの様子を伺っているものが振り返った。
「チッ」
 男は諦めた。
 とてつもなく大きなヘビが、ナギに迫っていた。気づいて逃げてもらうために起こそうとしたが、結果はこれだ。
 ヘビは男の方を睨み付けたが、またすぐにナギへと鎌首をもたげた。男の存在に気づきはしただろうが、松明の灯りに注意を向けただけで、男の居場所まで捉えたわけではなさそうだった。
「しゃーねえ」
 男は松明の持ち手を地面に突き刺し、腰を低く落とした。
 長く、太く、いびつな紋様をあしらったその腕の先で、鋭い爪を持つ大鳥のような大きな掌を開く。
 ジャッ、ジャッ、ジャッ
 後ろからそっと、ヘビに歩み寄る。しかし、ほぼ同じ速度で、ヘビはナギへ這いずり寄っていく。ここでスピードを上げて刺激しては危険だ。
 たのむ、間に合ってくれよ。男は願った。
「いち、にの」
 さん。を決して口に出すことなく、男は俊敏な動作で一気に詰め寄り、その両腕をヘビの後ろ首へと伸ばした。とつぜん首を強く掴まれたからなのか、今まさにナギに噛みつかんとしていたのか、ヘビはナギの目の前で、ナギの顔よりも大きな口を開き、鋭い歯を剥いた。
「よっしゃあ」
 男も歯を剥き、そして笑った。
「この野郎。さあて、仕切り直しだ。いち、にの、だあああああああ」
 男は力の限りを握力へと費やした。
 男の咆哮に、ナギは驚いて目を覚ました。
「――わっ、うあっ」
 突然の出来事で、声が声にならない。
 暗闇の中、辺りが小さく赤く晴れ上がり、目の前で大蛇と大男が自分に向かって大口を開いている。咆哮は大蛇のものか、大男のものなのか、ナギには咄嗟には分からない。
「わっ、あっ、はっ」
 ナギは身体が硬直し、引きつった声しか出ない。
 大男が笑った。
「おはようさん。起こして悪いな」
 ナギのそれと変わらない大蛇の胴体が、大男の両腕に握り締められた部分だけ、ナギの手首ほどに細く締め上げられている。
 大男の腕には刺青が彫られ、ナギにはその紋様が大蛇の胴体の模様と同じように見えた。
「まだ夜明けには遠いが、今日はもう眠らない方がいいぜ。間違いなく悪夢を見るだろうからな」
 大男は気楽に話しているようだが、ナギはまだ事態が飲み込めていない。
「ヘビってのはどうも、どこまでやりゃあ死んでくれるのかわかり辛くてな。だからちょっと、このまま最後までいくぞ」
 最後?
「肉やら血やら、何か、汁やら、ハハハ、いろいろ飛び散るかもしれねえ。ちょっとずれた方がいいぞ」
 大男は、がに股で低い姿勢を保ったまま、左右同じ位置を締めていた両手首を、どんどん締めつけるまま上下一本にした。
 そして右手を時計回り、左手を反時計回りに締め上げる。
「ぬっ、ぎっ、ぎぎぎぎぎ」
 大男の眉尻からこめかみにかけて、血管が小さなヘビのように浮き上がった。
 紐のようになっていく大蛇の胴体を見て、ナギは一連の事情はともかく、これから目の前で起ころうとしている事態について、やっと理解を示した。四つん這いのまま、急いでその場を離れる。
「わっ、はっ」
「ああああああっ――だっ」
 後ろで、大男が強く短く息を吐くような声を漏らすとともに、バチッという破裂音がした。
 ゆっくりと振り返ると、その場にへたり込んだ大男が満面の笑みで、その右手に勲章をぶら下げていた。大蛇は口からも引き千切られた部分からも、色々なものを垂らしていた。
 あまりにも鮮烈で、無かったことにはできない場面だった。
 ナギは観念して、話しかけた。
「あの、一体」
「あん?」
 ナギは距離をとったままだった。大男への警戒を怠れなかった。
 大男は大蛇の首を捨てた。
「まあ、そうだな、寝起きでこんなもん見せられちゃ、何も分かんねえわな」
 大男は指を一本ずつしゃぶった。
 ナギは説明を待った。
「アンタ、寝込みをな、このヘビに襲われそうになってたんだ」
 ナギはようやく理解できた気がした。途端、辺りが恐ろしくなり、キョロキョロと様子を伺ったが、暗くて何も見えなかった。
 大男は構わず続けた。
「そこをな、通りがかったオレが、この通り」
 大男は両腕を広げた。
「助けてみせたってわけだ。話が出来すぎてるか?」
 ナギは眉間に皺を寄せた。
「話が、そうだね、こんな夜更けにこんなところを通りかかるなんて、不自然だ」 
 大男は何度も頷いた。
「思ったより若そうだな、オマエ」
 若いと見るや否や、ナギは、アンタからオマエへ、降格していた。
「やっぱり、不自然だ。話をそらしたね」
 ナギは訝った。
「悪い悪い、今のは無しにしてくれや。こんな時間にこんな場所を通りかかるなんて、たしかにおかしな話だ。だがオレは別に、偶然だなんて言ってないぜ?」
「え?」
 大男は笑った。
「見回りだよ、見回り」
「何の?」
「何のって、見回りだよ」
 しゃべるのは苦手なんだと言いたげに、大男は頭を掻いた。
「何なんだ、あんた?」
 ナギが益々訝るので、大男は自己紹介から改めた。
「オレはな、ジャモってんだ。団長のゼフを筆頭に、何人かの仲間と旅をしている」
 ゼフという言葉にナギはハッとした。そして坂の上のシルエットを思い出す。
「あんたは、もしかしてゼフと一緒にいた……」
「やっぱりそうか。オマエ、あん時ゼフに話しかけてた奴だろ?」
 ジャモと名乗る男は座ったままだったが、ナギは急いで立ち上がって詰め寄った。
「僕の名はナギ。ゼフと旅を共にしたくて、町を出てきたんだ」
「ほお」
「頼むよ、僕を、ゼフのところへ連れて行ってくれないか」
 ジャモは、ナギの真っ直ぐな視線を受け止めた。そして品定めに入るような表情を浮かべた。

 

 


 

 タダンダの町は賑わっていた。
 ナギが歩んできた平原と地続きのため、町の中はところどころ雑草が目について荒れていたし、建物の造りはユカの町と変わりなかったが、何といってもこの町は広く、人が多かった。それに伴って、店の数も豊富ときている。
 子どものころから父親の部屋の本を読み漁り、いろんな知識を得ていたナギだったが、中でも宿という、主に旅の者が利用する宿泊施設を現実に訪れることができたのは感激だった。
 昨夜、ナギとジャモの二人は夜明けを待った。
 ジャモは町が近いと言い、ナギをそこへ連れて行ってもいいと答えた。ジャモは馬を連れていて、夜の内に移動することも可能だったが、別段急ぐ必要はないと判断し、夜明けを待つことにした。
 朝、ナギはジャモに少々乱暴に起こされると、馬の後ろに乗せられ、平原を進んだ。
 進む方角はナギが目印として頼っていた岩山の方だった。旅の分岐点としてタダンダの町を一つの節目と考えるのなら、ナギの進んできた道のりは間違っていなかったことになる。
 日が真上に昇る前には、前方に町が見えてきた。
「タダンダの町だ。ここ数日、オレたちはあそこで休んでいる」
 ジャモはそう説明した。
 遅くとも、ものの数時間もすれば町に着く。そう思わせられる距離感だった。
 ナギは安心して水筒の水を飲み干した。
 鳥にパンを取られはしたし、夜は大蛇に襲われはしたが、そういったトラブルが発生しなかったと仮定すると、タダンダまでは、ナギが自分一人の力で歩き通せるちょうどいい道程のように思えた。
 しかしトラブルに見舞われ、ジャモに救ってもらったのが事実なわけで、そういった意味では、ベルベルルが若者の外出を禁じたのはあながち的外れな策ではなかったのだと認識させられた。
 ナギは反省と自信とを胸に同居させた。
「ありがとう、ヴィンテージ・セロ。おかげでここまで来れた」
 ひとり言のつもりだったが、前にまで聞こえたらしい。ジャモは振り返った。ナギが自分の足元を見ているのに気づき、ジャモはナギのブーツに目をやった。
 二人は目が合った。ジャモは、ブーツとナギを見比べると、ニヤリと笑った。
 日が真上に昇る頃、二人はタダンダの町に到着した。当たり前というべきか、タダンダの町の出入り口には、出入りを規制するための兵などはいなかった。
 しかし町は大きかった。ユカの町にも、町長としてベルベルルのような存在がいるのだから、さすがにこの規模の町ともなると、それなりの立場の者がいるのであろうと思われた。
 しかし町は、特定の人物や特定のルールに縛られているような、窮屈な感じはしなかった。ナギの目には、この町の人々は気楽に生きているように見えた。
 気楽にというか、気ままにというべきか。
「町を出たことはないのか?」
 ジャモは尋ねた。
「うん」
 呆けた様子で町を眺めるナギに、ジャモは言った。
「こういうのをな、治安が悪い町っていうんだ」
 ナギは、ジャモたちが泊まっているという宿に案内された。金はあるのかと問われ、内ポケットから封筒を取り出し中身を見せると、ジャモは目を丸くして頷いた。
 部屋に案内されると、ナギは少し眠るように促された。
 ゼフをはじめ、仲間たちは出かけていて、夕方になると宿へ戻ってくるということだった。それまでに眠っておいて、少しでも疲れを取っておけ。ジャモはそう気遣った。
「あとでゼフたちに紹介しよう」
 ジャモはそう言って、ナギの部屋を出た。
 ナギはジャモのアドバイスに従い、眠ることにした。ベッドは豪華なものではなく、ナギの自宅のものとさほど変わらない程度の代物だったが、枯れ木の傍で地面に横たわって眠ったのに比べると、それは天国のような気持ち良さだった。
 ナギはあっという間に眠りに落ちた。

 

 ナギ――
 呼び声がする。
 ナギ――
「ナギ」
 耳元の男の声で、ナギは目を覚ました。
「あっ」
「よお」
 ナギはシーツをめくり、起き上がった。
 まるで病人を見舞うように、幾人の大人たちがベッドの上のナギを取り囲んでいた。枕元に椅子を置いて腰掛けているのは、まぎれもない、ゼフだった。
 足元の方には、ジャモが、腕を組んでニヤニヤして立っている。
「よく眠れたか? まあ、眠ったろうな」
 ジャモは笑った。
 枕元のゼフと、足元のジャモの他には、男女三人がいた。坂の上のシルエットで見た、あの連中に違いなかった。
 ジャモの隣にいる、背の低い太った男がしゃべった。
「ジャモから大体聞いたよ。ボクはベロンだ。よろしくね」
 ベロンと名乗る男が屈託のない笑顔で言うと、反対側の男に目を向けた。
 向けられた自己紹介の波にうんざりしたように、痩せた男が口を開いた。
「リッティだ。二十四になる」
 リッティと名乗る男は、聞いてもらわなくて構わないといった風に、小声で呟いた。
「あ、そうか。ナギ、ボク、三十六歳」
 ベロンが慌てて付け足した。
 壁際のソファに腰かける女は、物憂げな様子を湛えたまま口を開かなかった。
 ジャモが後を引き取る。
「そういやナギ、オレも年齢は言ってなかったな。オレは今年で、四十八になる」
 ベッドの上に座ったままの自分へ、大人たちが順に自己紹介をしてまわる。ナギはベッドから起き上がるタイミングを逃し、何だか気まずかった。
「ナギ」
 ゼフが、最後を務めた。
「俺のことは知ってるよな」
 ナギは胸の高鳴りを覚えた。
「もちろん。あんたはゼフ。団長だ」
「そうだとも」
「僕はあんたに感化されて、ここまで来たんだ」
 ゼフは立ち上がった。
「つまりお前は、何よりも自由を求める男というわけだ。今ここにいることがその証。そういうわけだな?」
 ナギが力強く頷くと、ゼフは笑った。
 ゼフの笑顔に、ナギは全てが報われた気がした。町を出たことは間違いじゃなかった。旅に出て良かったんだ。
 ゼフは両腕を広げた。
「よく来たな。俺たちを追ってきたんだろう?」
「うん」
 ナギは微笑んだ。
「ようこそ、ナギ。お前は今日から、俺たちの仲間だ」
 それで良いんだよなと、ゼフはジャモを見る。ジャモは笑って頷いた。
「それはそうと、ナギ」
 ゼフはナギに向き直ると、話題を変えた。
「ん?」
「俺は一つ、お前の問題を指摘した。覚えてるか?」
 靴のことだ。すぐに分かった。
 靴屋の主人曰く、あの町の付近では採れることのない最上級の革をしつらえた、とても値の張る代物。有名な名酒から引用したというその名は、ヴィンテージ・セロだ。
 ナギは胸を張った。
「もちろん。旅の初心者である僕がここまでやって来れたのは、これのおかげなんだ」
 シーツを勢いよく捲り上げて足元に目をやると、そこには黒いソックス姿の両足が揃っていた。靴を履いていないことに今になって気づいた。
 慌ててゼフの顔を見る。
「いや、その、分かっている。靴のことだろう?」
「そうだ。旅は長い。まあここまで来られたんだ。まさかあの長靴でやってきたわけじゃないんだろうが?」
 靴はどうした? ゼフは首を傾げる。
「おお、そういやコイツ、なかなかいいブーツを履いてるぜ」
 ジャモが言う。
 そうだよね。ナギは慌てて靴を探す。チラッと見た分には、ベッドの左側に靴を脱いだ形跡はない。反対側の足元を覗き込む。靴はない。そのまま横へ視線を滑らせるが、やはり靴はない。
「どこで、脱いだかな」
 シーツを全部捲り上げるが、靴はなかった。最後に、足元のジャモの方へ四つん這いの姿勢のままにじり寄り、足元を覗き込んだが、そこにも靴はなかった。
「え」
「どうした?」
 頭の上で、ジャモが尋ねた。
「靴が、ないんだ」
「あん?」
 ナギはベッドから降り、床に這いつくばってベッドの下を覗き込んだ。しかしそこにも靴はなかった。
「どうした、ナギ。靴がないって?」
 ゼフが問う。
「おかしい、おかしい、おかしい」
 ナギは部屋中を這いつくばった。
「おいおい」
 リッティが薄ら笑いを浮かべる。ベロンは手伝うような素振りで簡単に周囲を見回したが、何も見つかりはしなかった。
「オマエ、あんないいヤツ」
 ジャモが目を丸くする。
「だめだ」
 部屋の出口の方まで確認したナギは、真っ白な顔で、助けを請うようにゼフを見た。
「盗まれたんだ」
 その言葉に、部屋が緊張した。
「そうに違いない。ここに来るまで履いていて、今なくなっていることに気づいたんだから」
 全員の表情が少し強張る。
「根拠はあるの?」
 ベロンが言った。
「今言ったじゃないか。ここへ来るまで履いていて、すぐに眠って、今起こされたばっかりなんだ。どこかへ行ったとか落としたとか脱ぎ忘れたとか、そんなことは決してない」
「そっか」
 ベロンは首をすくめた。
「盗まれたんだよ。そして僕が思うに、犯行可能なのは」
 ナギは指差した。
「ジャモ。あんただ」
「は?」
 ナギはジャモに疑いの眼差しを向ける。
「何故なら、僕がいい靴を履いていることを知っていて、僕と二人きりになり、僕の隙を突けた人間といえば、ジャモ、あんたしかいないからね」
「ナギ……てめえ」
 ジャモは明らかに不愉快になっている。
「本気で言ってんのか」
「本気だ」
 ナギは目をそらさなかった。
 ゼフが割って入る。
「二人ともよせ。みんなも、分かっているだろう」
 ゼフの言うとおり、面々は思い思いの表情を浮かべている。何やら見当がついているようだった。
 しかしナギには、何のことだか分からなかった。
 考えてみれば、自分だけが仲間入りを果たしたばかりの立場なのだ。多勢に無勢ではないだろうか。こうなっては、ゼフまでが疑わしく思えてくる。
「どういうことだ?」
 ナギは尋ねたが、ゼフは話しかける順番を慎重に選んだ。
「ジャモ。落ち着いてくれ。お前も分かってるはずだ」
 ジャモは、目を細め、やがて頷いた。
 そして目をくるりと一周させると、大きく深呼吸した。
「分かったよゼフ。そうだな、しゃーねえ」
 ゼフは頷いた。次いで、リッティに提案する。
「リッティ。たぶんあのガキどもだ。ここはぜひお前に頼みたい。どうだ?」
「僕が? 冗談じゃない」
 リッティはかぶりを振った。
 ナギが割って入った。
「ちょっと待って。みんな分かっているとか、あのガキどもとか、一体何のことなのかそろそろ教えてくれないか。僕が被害者で、僕だけが話に付いていけてないんだ」
 ナギの言い分に、リッティは一層、嫌悪を顕にした。
「なんで僕が、こんな奴のために」
 リッティは今にもゼフに詰め寄りそうだったが、先ほどまで怒りを顕にしていたジャモがそれを制した。そしてリッティの耳元に何やら囁く。
 しばらく耳を傾けると、やがてリッティは仕方がないという風に肩を落とした。
「オッケー」
 リッティは小さな声で言うとナギをひと睨みした。
「頼むぞ」
 ゼフが言うと、リッティは手をひらひらと振りながら部屋を出た。

(つづく)

 

 

 


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