コロコロvs抜け毛

「自分自身との終わりなき闘い」

名もなきファンタジー小説(5)

★アマチュアファンタジー小説家応援企画★
 むかし人生で初めて書いたファンタジー小説を公開します! プロットって何?って知識レベルで思いつくまま書きなぐった黒歴史。恥さらし上等、アップするにあたり修正なし。


 名もなきファンタジー小説(5)

 

 「世話になった」
 ゼフが代表して宿屋の主人に言った。後ろには身支度を整えた仲間たちが、皆一様に大柄な鞄を背負い、成り行きを見守っている。
「大変な目に遭われましたが、是非、またお越しください」
 主人は頭を下げた。
 ゼフが振り返る。
「ナギ、お前、金は持っているか?」
「お金? ああ、あるよ」
 そう言うと、ナギは胸の内ポケットから二つの封筒を取り出してみせた。
 その厚さを見て皆が目を丸くした。
 ゼフは封筒を指差した。
「この宿を出るから、宿泊費を払わなきゃならん。お前の分をもらうぞ」
「ああ、いいよ。ただ、お金の数え方とか、よくわからないんだ」
 ナギは申し訳なさそうに言った。
「勘定はいい、こちらでやる」
 ゼフはそう言うと封筒を受け取り、主人と話し合いながら、中から何枚かを抜き取って手渡した。
「昨晩は本当に、大変な目に遭われまして」主人は何度も頭を下げた。
 サキの頬の傷は深くはなかった。表面を綺麗に切ったため派手に出血してしまったようだが、やがて自然と治まった。
 ベロンが主人に薬とガーゼをもらいに行き、その際、部屋で起こった事態を説明した。話を聞いた主人は驚き、ベロンと一緒に部屋に駆け付け、惨状を見て言葉を失った。ゼフが部屋を荒らしてしまった事実について詫びを入れたが、割れたガラスが部屋の中に散乱していることと、投げ込まれたと思われる石が決め手となり、主人はゼフたちを器物破損で咎めるようなことはしなかった。代わりに主人は傷ついたサキを非常に気遣い、薬箱をベロンへ託すとお大事にと言って何度も頭を下げて出て行った。
 ジャモはその後も何度か窓の外へ顔を出したが、結局犯人は見つからなかった。
 雰囲気が一変したため、酒盛りは中止した。
 ガラスの破片は片付けたものの、割れた窓は補修することなくそのままにした。外気が入り込んできたが、暖かい季節であるため特段問題はなかった。
 窓の外への緊張はしばらく続いたが、それ以降音沙汰はなく、やがて一行は眠りについた。
「どうもありがとうございました。それでは、良い旅を」
 主人は両手を前に添え、深々と礼をした。
 主人に見送られながら、ゼフ一行は宿を後にした。
 陽射しが眩しい。タダンダの町は快晴だった。空気は乾き、微かに砂埃が舞っている。長時間外にいると、喉を痛めてしまいそうだった。
 ふいにジャモがゼフの肩に手をかけた。
「ゼフ、ちょっくらオレ、例の馬んとこ行ってくるわ」
「どうするんだ」
「馬、借りれるかどうか」
 ジャモは悪戯っぽい笑みを浮かべたつもりだったが、大男のそれに可愛げはない。邪悪な笑みに、ゼフは小さくバンザイした。
「おいおい、手荒な真似は」
「分かってる、無茶はしねえよ。優しく尋ねてみるだけだ」
 ジャモは行く気満々だった。止めても無駄だろうと、ゼフは呆れ顔で言った。
「分かった。俺たちは先に町の外れまで行ってるからな」
「ああ、構わねえ。すぐに追いつく」
 ジャモは満足げに言うと、のしのしと大股に歩いていった。
「優しく、ね」
 ベロンとリッティが同時に言うと、互いに苦笑した。
「ジャモ、どこ行ったの?」
 ナギはジャモの背中を見て言った。
 ゼフも小さくなっていくジャモの背中を見送った。
「馬だ。あったら楽だろう? 借りることができるかどうか分からんが、とりあえず確認してみるんだとさ」
「借りることができるかどうかって、何か条件があるの?」
「単純な話、金だ。まあ、馬が足りるかどうかって問題もあるがな」
 そう言うとゼフは、預かったままだった封筒をナギに差し出した。
「ナギ、ちょうど金の話になったから言っておきたいんだが」
「なんだい」
 ゼフは頬をかいて言った。
「旅には何かと金が入り用なんだ。だから悪いんだが、必要な場面では、金を出してくれたら助かるんだが」
 ナギは一瞬きょとんとしたが、すぐに快諾した。
「いいよ。お金の使い方はよく分からないし、役に立つならどんどん言ってよ」
 そう言うと胸をどんと叩いた。
「そうか、助かるよ」
「ただ、僕、お金の数え方とか分からないんだけど」
 ナギが困った顔で言うと、ゼフは真面目な顔で受け答えた。
「勘定はいい、こちらでやる」
 さっきと同じやりとりじゃないか。ベロンとリッティが笑った。
 さあ、行こうか。一行は町の外れへと向かい、ジャモを待つことにした。

 

 一行はゆっくりと町を抜けた。活気に溢れる町はあらゆる店が立ち並び、軒先に並べられた品物が時折リッティやベロンの気を引いたが、既に数日間滞在したこの町に、今更これといって目ぼしい物は見当たらなかった。
 ベロンは肩をすくめ、リッティはつまらなそうに鼻でため息を吐いた。
 ゼフは真っ直ぐ前を見て歩き、その少し後ろにサキが、その後ろにナギが続いた。
 やがて町外れが見えてきた。
 昨日、ジャモに連れられて入ってきた場所だ。ナギは思った。
「ナギ、ところでさ」
 ベロンが小走りにナギの隣に追いつくと興味深げに尋ねた。
「何でキミの町は、人の出入りを禁じているの?」
「うん、それがさ」
 答えようとした時、ナギは町外れに若者が数人たむろしていることに気づいた。
 町のあちこちで、所在無げに座り込んでいる者やたむろしている若者たちを見かけたものだが、町外れはちょっとした広場となっているだけで、ゆっくりと休めるような店もなければ日除けとなるものもない。
 何であんなところで。
 ナギ以外もその若者たちに違和感を覚えたようだった。ベロンは口をつぐみ、一行を少しの緊張感が包んだ。
 ここでジャモを待たなくてはならない。やむを得ず一行は、その若者たちとほぼ同じ辺りに居座る格好となった。
 否が応にも互いを意識する距離感。
 沈黙の中、幾つかの視線が交錯したところで、一人の若者が思いも寄らぬ声をかけてきた。
「おい、お前、ナギだろ」
「えっ」
 ナギは戸惑った。
「知り合い?」
 ベロンがナギを伺う。
「久しぶりじゃねえか」
「……あっ」
 ナギは目を疑った。
「ピルロ」
 ピルロと呼ばれた若者はニヤニヤと笑っている。
「あ、あいつ」
 リッティが驚いた声をあげた。
 リッティの視線の先には、帽子を目深に被った男がいた。
「あいつ、昨日のコソ泥だ」
「なんだって」
 ベロンが驚いた。
 帽子の男はピルロの後ろに身を隠すようにして、一行を睨み付けている。
 ピルロは顎を上げ、見下したように言った。
「まさかお前の靴だったとはなあ、ナギ」
「ピルロお前、盗賊なんてやってるのか」
 ナギは非難した。
「悪かったよ、だからお前に謝ろうと思ってな、ここで待ってたんだ」
「なんだって」
 ピルロはニヤニヤしながら仲間を見ると、ナギに向き直って白々しい泣き声で言った。
「だってよお、俺の大切な友達をよ、危うく裸足で歩かせるところだったんだからなっ」
 ピルロが目をむいて言うと、仲間たちが大声で笑った。そりゃそうだ、ひどいよピルロさん。友達の靴を盗むなんて!
 ナギは歯を食いしばって言った。
「馬鹿にしてるのか」
 ひとしきり笑うと、ピルロは仲間が笑うのを手で制し、険しい表情で言った。
「ナギ、お前、抜けてきたのか」
「だったら何だ」
 ピルロは目を細める。
「一体どうやって……まあいい。お前、これからどうするつもりなんだ」
 その場にいる全員が、二人のやり取りを静かに見守っている。
「どうしようと僕の勝手だ。僕は自由を手に入れるために、町を出てきたんだ」
「自由? へっ、外はそんな甘くねえぞ」
 ピルロがまた目をむいた。
「先に禁を破ったのはお前だろう。そんなお前にとやかく言われる筋合いはない」
 ナギは毅然として言った。
「俺は忠告してやってんだよ」
「好き勝手やってる奴の忠告なんかはいらない」
「何だとこの野郎」
 ピルロが拳を握り締める。
 ナギは大きく一つ息をつき、声を震わせて言った。
「パウムとの約束はどうしたんだ」
「あん?」
 ピルロは片方の眉を上げた。
「パウムを迎えに行くって約束しておきながら、何年も何年も……何をしてるのかと思いきや、やってることは泥棒か!」
 ナギは怒鳴った。
 しかしピルロは一向に怯む様子はなく、恐ろしい形相でナギを睨み付けている。
「お前に何が分かる」
「何だと」
 ピルロは憎しみの対象がそこにあるかのように、手の平を開いては拳を強く握り締める仕草を繰り返した。隆起した前腕の筋肉がまるで生き物のように蠢く。
「何もできねえ甘ちゃんが。お前には外の世界でやっていくのは無理だ。絶対にな」
「やってみなくちゃ分からない」
「無理だっつってんだろ! この糞野郎が。自由になりたいっつったな? じゃあやってみろよ」
 ピルロは唾を飛ばしながら強い口調で言った。
 ナギは黙って聞いている。
「お前、町ん中にいる時と何も変わってねえよ。分かんねえか?」
 ピルロは、ゼフたちを睨み付けた。
 しばらくするとピルロは、やめたと言って首を振った。握り拳をほどいてひらひらと振る。
「お前がどこで野垂れ死のうが知ったこっちゃねえや」
 ピルロはぶっきらぼうに言った。
 リーダーの様子の変化に、仲間たちはそれをどう受け取っていいものかどうか、互いに顔色を伺いながら小さく笑った。
「ナギ、お前はさ」
 ピルロが改まった。
「くだらねえ仕事に就いて、ヘコヘコ頭を下げて生きていくのが似合ってると思うぜ。たとえば」
 嫌らしい笑みを浮かべる。
「お前の親父みたいにな」
「何だと」
 相手が堪えた様子に気を良くして、ピルロは嘲笑うように言った。
「良いこと教えてやろうか? お前の親父は馬小屋で働いてるよ」
「馬小屋」
「ああ、バトンの親父に飼われてる。奴隷みたいなもんだな」
 ピルロが顎を突き出してからかった。仲間たちが呼応するように大声で笑った。
「馬小屋って」
 ナギはゼフたちを見る。
「ジャモが行った?」
 ベロンが頷いた。
 やっぱり……。
「ベロン、場所分かる?」
 ジャモと父が会っているかもしれない。ナギは何故だか居ても立ってもいられない気持ちになった。
「分かるよ、行く?」
「うん、頼む」
 二人は確認し合うと、ゼフにちょっと待っててくれと目で告げ、走り出した。
「親父によろしくなあ」
 ピルロが目をむいて言うと、リッティが詰め寄った。
「お前、さっきから……」
「あん?」
 ピルロが胸を張る。二人が睨み合いの姿勢になったところを、ゼフが割って入った。
「リッティ、やめとけ」
「ゼフ、何で」
「へっ、来ねえのかよ、お洒落野郎」
 ゼフはリッティを引き離して後ろに追いやると、ピルロに言った。
「お前は頭が良さそうだ。本当は喧嘩するつもりなんてないんだろう?」
「あん?」
「ゼフっ」
 後ろからリッティがいきり立つ。
 いいから下がっておけ。ゼフが目で告げる。そしてピルロに向き直り、改める。
「勝てるなんて思ってないよな。少年」
 ピルロはニヤニヤと口元を歪めていたが、目は笑っていなかった。
「聞きたいことがある」
「なんだよ、おっさん」
「ナギの靴を盗んだってことは、我々が泊まっていた部屋を知っていたわけだ」
「……そうか、そういえば」
 リッティが何かを思い出したようだった。
 サキはガーゼの上の感情のない目をピルロに向けている。
 ゼフは静かに尋ねた。
「昨晩、我々の部屋に石が投げ込まれた。率直に聞く。お前らか?」
「そうだ、こいつらだ、絶対」
 リッティが叫ぶ。
 帽子の男をはじめ、ピルロの仲間たちはそわそわとしている。
 ピルロはニヤついた表情を崩さない。
 ゼフは半歩、ピルロへ近づいた。
「石を投げ込んだのは、お前か?」
 ゼフの声は静かだったが、確かな怒りが込められていた。
 返事がない。ゼフは更に追求する。
「お前か?」
 ピルロの仲間たちは固唾を呑んで見守るほかなかった。リッティも気圧され、口を閉ざした。
 ゼフはじっと、ピルロを見据えている。ピルロも目をそらさなかったが、いつしかその口元からは嫌らしい笑みが消えていた。
「お前か?」
「……違う」
 ピルロが答えた。
 ゼフはたっぷりと時間をかけて睨み付け、もう一度尋ねた。
「石を投げたのは、お前らか?」
「違う」
 ピルロは否定すると、またニヤついた表情に戻った。しかし顔は引きつっており、こめかみのあたりから汗が一滴垂れた。
「違うよ」
「……そうか」
 ゼフはゆっくりと瞬きをすると、くるりと振り返って手を振った。
「もういい。行け」
「ゼフ、絶対こいつらだって」
 リッティが納得いかないとばかり食い下がる。しかしゼフはリッティの言葉には耳を傾けず、ピルロたちに続けて言った。
「もう行け。お前たちがどこに居ようがお前たちの自由ではあるが……」
 ピルロはゼフの言葉を待った。
「今は、俺たちの前から、消え失せろ」
 ゼフは、サキの右頬のガーゼを見つめながら言った。
「へっ」
 ピルロはリッティの足元に唾を吐くと、町中へと一人で歩き出した。
「あ、この野郎」
 リッティはまたいきり立ったが、ピルロは振り向くことなく立ち去った。
 何も指示を受けなかった仲間たちは戸惑いながら、慌ててピルロの後を追った。
 ゼフはサキの頬を撫でた。
「大事には至らなかったんだ。これで良いよな」
 ゼフは微笑んだ。
 サキは何も言わなかった。

 

 


 

 ナギとベロンは茶屋街を駆け抜けた。
 大勢の人々が忙しなく行き交いごった返す中、足元には所在無げに寝そべっている者があちこちにいる。この混沌とした町では、全力疾走する二人のことをさして目に留める者はいなかった。
「この先だよ。曲がればすぐ見える」
 大食いで太っているベロンは息が上がりかけていた。
 ジャモと父親が会っているかもしれない。ナギは嫌な予感がしていた。何がどうという説明はつかない。具体性は何もない。だが、旅の仲間となるジャモと、軽蔑している父親とが出会う可能性を、良しとできなかった。何とかして避けたいという思いに駆られた。
「ナギっ」
 ベロンの声がいよいよ後ろに遠ざかっていくのが分かったが、目的はこの先を曲がればすぐ分かるという話だ。待たなくていい。ナギは迷わず走った。
 角を曲がると、厩舎が見えた。
 他の建物同様、更に言うならユカの町のそれと同様の白塗りの建物で、衝立で仕切ることで馬一頭ごとのスペースが設けられ、スイング式の小さな扉で個別に出入りできるようになっている。
 ナギは厩舎まで辿り着いた。
 馬は何頭かいたが、何頭かは出払っているのか、空き室が幾つかあった。
 自分を乗せてくれた馬はどれだろうか。ふとナギは昨日のことを思い出したが、馬の顔はどれも同じに見えて、区別が付かなかった。
 辺りを見渡すが、ジャモの姿はない。父の姿もなかった。
「ジャモ」
 声に出してみるが、返事はない。
 ここで間違いないのか。振り返ったがまだベロンは追いついていなかった。
 建物の中にいるのだろうか。ナギはぐるっと回ってみることにした。
 右手から回ってみると、厩舎の中へ通じる扉を見つけた。扉が開け放たれていたので中へ入ってみることにした。
 中を覗くが、誰もいない。
 しかし奥の方に扉があることに気づいた。小部屋がありそうだった。ナギは、尻を向けている馬を横目に厩舎の中を奥の扉の方へと進んだ。
 扉は半開きで、中から人の声がする。まさか、もしかしたら――。
 ナギの嫌な予感は的中した。
 扉を開けて中を覗くと、そこにはジャモと父の姿があった。
 父クルブは今にも押し潰されそうな程に壁際に追いやられ、壁を背にして怯える目でジャモを見上げていた。
 ジャモはクルブの頭の両側あたりに手をついて、顔を近づけて凄んでいるようだった。
 ナギは血の気が引くのを感じた。
「ジャモ」
 振り絞るように声を出す。
 その声というよりも人の気配に気づいたかのようにジャモは振り返った。それがナギだと気づき、笑顔を浮かべる。
「おお、ナギ」
 ナギという言葉にクルブが反応した。ジャモの刺青の入った丸太の様な左腕越しに、ギョロっとした目がナギを見る。
 ジャモは壁に付いた手を離すと、クルブの頭を小ばかにするようにバシバシと叩きながら言った。
「今このおっさんによ、馬をちょっと寄越してくれって頼んでんだけど、これがなかなか頑固で融通利かねえんだわ」
 そう言うとクルブに向き直り、今度は髪の毛を鷲掴みにして凄んだ。
「こないだは貸してくれたじゃねえか、タダでさ」
 タダで……。
「ナギ」
 髪を鷲掴みに引っ張られたまま、クルブはジャモではなく、ナギに向けて口を開いた。
「ナギ、なのか」
「あ?」
 ジャモは思わず二人を見比べた。
 ナギは自分の身体が震えているのが分かった。
「父さん」
 ナギは唇を噛み締めた。
「父さん? はあ?」
 ジャモは髪を掴んだ手を離した。
 自由になるとクルブは、受けた行為を気にも留めず、信じられないと目を見開き、ナギに問うた。
「ナギ、お前、何でこんなところに」
「えっ、えっ、えっ」
 ジャモが大袈裟なほどに首を振って二人を見比べる。
 ナギが、苦々しく言った。
「ジャモ、僕の、父さんだ」
「父さん? 嘘だろ!」
 ジャモは声を上げると、気まずそうに両手を挙げて、一歩、二歩と退いた。
「すまねえ」
 お前の親に何てことを、という意味だったのだろうが、ナギはジャモを見ていなかった。
 クルブもジャモのことを気に留めていないようだった。
「ナギ」
 言いたいこと、聞きたいことをギュッと凝縮するように、ただ名前を呼ぶことで、クルブはナギに答えを促しているようだった。
「町を、出てきた」
 ナギが俯き気味にぽつりと呟くと、クルブは目を見開いた。
「出てきたって、お前、母さんは」
 その言葉に、ナギはカッとなった。
「母さん? 母さんが何? あの人は僕の思いなんか知らないよ。僕の話なんか聞いちゃいない。だから何さ。いや、言ってきたよ? 町を出るって、もう帰らないって、ちゃんと言ってきたよ。何か文句ある?」
 ナギはまくしたてた。
「ナギ」
 父はその剣幕に押され、取り付く島がないように繰り返し息子の名を呼ぶほかなかった。
 その態度がさらにナギを苛立たせる。
「ナギ、ナギ、ナギ。何? そんなぼそぼそ名前だけ呼ばれても分かんないよ。何が言いたいの? 分かんないよ。あんたが何を考えてるのかさっぱり分かんないよ」
 ナギはいつしか肩で息をしていた。そして声を張り上げて父を非難し続ける。
「あんたの方こそ何してんのさ、こんなところで。奴隷みたいに荷馬車に乗って連れて行かれてると思ってたら、何? 案の定奴隷みたいに働いてたの? 客にからまれてさ」
 すかさずナギは強い視線をジャモに向ける。
 ジャモはひどく居心地が悪そうに、その大きな身体を小さくして、降参とばかりまた両手を挙げた。
 クルブが言った。
「お前、町を出たら、もう戻れないんだぞ」
 その言葉には、取り返しのつかない大問題を起こした息子を咎める響きがあったが、もはや息子の勢いは、崩壊した積年の怒りは止まらなかった。
「だから何? 分かってるよそんなこと。分かってやってんだよ。話が噛み合ってないんだよ全然。あんたが情けないって話をしてんだよ、こっちは」
「ナギ、お前そりゃちょっと……」
「うるさいっ」
 ジャモが口を挟もうとしたが、ナギはばっさりと断った。
「タダで貸したの? 馬。何してんの、ジャモが怖くて、タダで貸しちゃったの? 情けない、あー情けない情けない」
 クルブはうな垂れる。
「今だってそうさ、頭を叩かれたり、髪の毛を引っ張られたり、好き放題言われて、おどおどしてるだけでさ。だから嫌だったんだよ、あんな生活が」
 クルブはハッとした。
「何を考えてるのか分からない格好悪い父親に、話を聞いてくれやしないヘラヘラした母親に、朝から晩までペンキ塗りの毎日で、町に閉じ込められて、何の楽しみもなくて」
 ナギの目に涙が浮かんだ。
「何なんだこれはって、僕の人生って一体何なんだって、嫌で嫌で仕方がなかったんだ。何のために生まれてきたんだって」
「ナギ……」
 クルブの声が上擦る。
「何で僕をつくったのさ。何で生んだのさ。あんな町で暮らしたって、楽しくないに決まってるじゃないか。幸せじゃないに決まってるじゃないか!」
 ガタッ。
 後ろで物音がした。みんなが扉の方を振り返ると、そこにはいつしか追いついていたのだろう、ベロンが立っていた。
 聞き耳を立てていたのか、うっかり物音を立ててしまったようで、ベロンは気まずそうにジャモに視線を向けた。ジャモも厄介なことになったとばかり、眉根を寄せて目配せした。
 ナギは少しばかりの落ち着きを取り戻した。 足元に目を落とすと、ペンキ塗りの長靴ではなく、旅人の革靴を履いている自分に改めて気づく。
 町を出たら、もう戻れないんだぞ――。
 そうさ、分かってる。
 ナギは顔を上げた。
「今更どうこう言っても仕方がない。僕は町を出たんだ。自由を手に入れるためにね」
 ナギは言った。
 クルブはただ、歯を食いしばって、俯いていた。
「じゃあね、父さん。さよなら」
 ナギはそう言って、ベロンを押しのけて部屋を出た。
「おい、ナギ」
 ジャモが呼ぶが、ナギは振り返らない。
「ナギ、馬……」
 ジャモはちらりとクルブを見た。
 クルブは俯き、立ち尽くしたままだ。
「……とか言ってる場合じゃねえか」
 ジャモとベロンは見合って、馬は諦めようと目で言った。
「おっさ――おじさんさ」
 ジャモが言う。
「ナギの親父だって判って、急に手の平返すのもなんだけど、さっきは悪かったよ」
 クルブは話が耳に入っていないようにうな垂れている。
「おじさんって、ジャモとあんまり年変わらなそうだけど」
「うるせえよ」
 部屋には先ほどの余韻がまだ立ち込めている。雰囲気に呑まれ、二人は小声で掛け合った。
「行こうか」
 ジャモが言い、ベロンが頷いた。
 これから旅の仲間となる者の父親との、思いも寄らぬ形の出会い。それも、あまり良い形ではない出会いだ。
 ベロンは居たたまれない気持ちになり、クルブに黙って頭を下げた。
 二人が部屋を出ようとした時、クルブが口を開いた。
「ナギと、一緒に居て下さるんですか?」
 二人は顔を見合わせた。ベロンが、はいと答えた。
「勝手なことを言ってすみませんが、情けない親でお恥ずかしいのですが」
 クルブは俯いたまま、懇願した。
「ナギを、よろしくお願いします」
 ジャモは天井を仰ぐと、唇を尖らせ、黙って部屋を出た。
 ベロンはもう一度頭を下げた。
 しばらくして頭を上げると、クルブが変わらずにうな垂れて立ち尽くしていた。
 ベロンは部屋を出ると、そっと扉を閉じた。

 

 タダンダの町を出発して北上を続け、四日が過ぎた。
 ゼフを先頭に、リッティ、サキの順、そしておしゃべりに夢中なジャモとベロンが少し離れて続き、最後にナギが、小走りと休憩とを繰り返しながらやっとの思いで食らいついていた。
 ナギはまさかここまで体力に差があるとは思っても見なかった。
 旅立つ前は、少なくとも女性であるサキには負けまいと思っていたが、いざ出発してみると、当のサキは涼しい顔をしてゼフのペースに付いていっているが、自分はと言うと息も絶え絶え、腰の痛み、膝の痛み、筋肉痛に筋肉疲労、挙句の果てには靴擦れと、苦しみのオンパレードに苛まれていた。
「一体どうなってるんだ。頼むよ、セロ」
 すっかりうな垂れてしまっているナギは靴に恨みがましい言葉を投げたが、もちろん靴に非などない。皺の寄った甲が、むしろ最大限のサポートをしているのにその体たらくは何だと、苦笑している顔のように見えた。
「そうだ、セロよ、一つ探ってみたい可能性がある」
 なんだい?
 返事が返ってきたという体裁で、ナギは続ける。
「もしや、左右を間違えて履いてしまってやしないかな?」
 言いながら両足を揃えてみる。
「だからこんなにつらくて、みんなのペースに付いていけないのかもしれ――」
 靴は間違いなく、正しく履かれていた。
「――はは」
 ナギはその場にへたり込んだ。
「何、やってんだか」
 遠く離れ行く五人の背中を見つめると、ナギはやがて寝そべった。
 大の字になり、パウムとのくだらない言葉の掛け合いを懐かしむ。
 ナギはかつての日々を思い出した。みんな今ごろ、何をしているだろうか。
 パウムは退屈してるだろうか。ネルコは寂しがっているだろうか。
 ベルベルルは怒っているだろうか。母さんは心配しているだろうか。
 父さんは、どうしているだろうか。

 

 あの日、ナギは厩舎を後にすると、真っ直ぐに町外れへと向かった。
 ジャモとベロンが追いついてきて、足早に歩くナギに左右からああだ、こうだと話しかけてきたが、とても聞く耳を持てなかった。
 茶屋街を抜けると町外れにゼフたちが見えた。そこにはもう、ピルロたちの姿はなかった。
「あれ、馬は?」
 馬を引かずに戻ってきた三人を見て、リッティが遠巻きに声をかけてきたが、返事する気になれなかった。
 後ろの二人からの返事もなかったが、恐らく何らかの身振り手振りで合図を送ったのだろう、リッティはゼフに目配せをした。
 足早なペースのままゼフたちの下へ辿り着くと、ゼフが声をかけてきた。
「どうだった?」
 馬のこと。ピルロが言ったナギの父のこと。そんな色々な意味合いが込められた質問だということは分かったが、一刻も早く町を出たかった。
「ご覧のとおり。行こう」
 ナギはまるで自分がリーダーかのような決定的な言葉を告げると、先頭を切って町を出たのだった。

(つづく)

 

 

 


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