コロコロvs抜け毛

「自分自身との終わりなき闘い」

【ホラー小説】袋小路(3)

拙くて恥ずかしい限りですが、むかし初めて書いたホラー小説を公開致します 


 【ホラー小説】袋小路(3)

 

「えっとね、ハムカツちょうだい」
 加藤がお気に入りを要求した。はいハムカツね、と伝票にメモするおかみさんに、堤は思い出したように四杯目となる生ビールを追加した。
 月曜日の西新宿商店街は、金曜日のようにごった返していた。前に加藤に連れてこられた時が何曜日だったのかは覚えていなかったが、同じく金曜日のようにごった返していた気がする。
 今日は、いつものデスクワークに比べると身体を動かした方なので、堤は加藤と落ち合う頃にはかなり腹が減っていた。加藤からリクエストを求められたため、いっぱい飲み食いできて、かつ安い店が良いと答えたところ、連れて来られたのは毎日が金曜日状態の横丁で、炙り物の匂いと煙を道々掻き分けて入った先は、加藤のお気に入りの食堂だった。
 前に一度来ましたよね、と加藤の芸のなさを暗に非難したが、そうだっけか、と意に介さぬ様子で流されてしまった。
 決して座り心地の良いわけではない緑色のドーナツ型シートのパイプ椅子は、酒がすすむにつれ不思議と尻を落ち着かせていた。
「しかしよお、堤よ」話題は日中の続きだった。「何でまた、レジ打ちなんだよ」
「まだ言ってんすか。別に良いじゃないすか」
 先に油物で空腹を満たした堤は、蛸わさびを口にした。
「悪かないけどよ、前はほら、テレアポか何かやってたんだろ。ああいう方がいいじゃねえか」
 堤には、加藤が偏見で満ちているように感じられた。
「今回晴れて家買えたんで、何て言うか、洋子にお疲れ様っていう気持ちになったっつーか」
「お疲れ様?」加藤が反応した。
「ローン組んだのは俺ですけど、頭金貯めたのは実質あいつの稼ぎの分だから。家はあいつが買ったようなもんなんです。だから、これからももちろん働いてもらわなきゃ厳しいんだけど、でもこれまで散々苦労かけたから、ちょっとこの機会に、一休みしていいよって。もう今までみたいに、ガンガン働かなくていいよって。そう思って」
「ガンガンつっても、テレアポは正社員でフルタイムってわけじゃなかったろう。壁の範囲内だったんだろ?」
 俗に言う百三万円の壁、百三十万円の壁のことだ。加藤がどちらを指しているのかわからなかったが、かまわず堤は話をすすめた。
「まあ、その通りですけどね。でもやっぱり、新しい町に引っ越したわけだから。職場、横浜だったんすよ。通えなくはないけど、前住んでた家の方を通り過ぎて通勤し続けるより、新しい町に馴染むためにも、近場で新しい働き口を探そうやって思って」
「けっ」
 加藤はわざとらしく顔をしかめ、ビールを煽った。
「何でも良いけどよ、お疲れ様なんて言いたいんだったら、自分の稼ぎだけで食わしてやれるようになれよ」
 これには堤は頭にきた。
「それを上司のあなたが言っちゃいかんでしょう。じゃあ給料上げてくださいよ。一体いくらだと思ってんすか俺の稼ぎ」
「俺にその辺どうこうできる力はねえよ」
「じゃあ絡まんでくださいよ。前の仕事つづけた方がいいって言ったり、俺の稼ぎだけで食わしてやれって言ったり。言ってること真逆で滅茶苦茶じゃないすか」
 堤はここまで言い返しておいて、気がついた。加藤は別に矛盾したことを言ったわけではない。偉そうに聞こえた発言に対して、だったら養ってみろと意見しただけだ。
 相手の方が酔っていると踏んでいたが、酔っているのは自分の方かもしれない。堤は思った。
 堤はジョッキを勢いよく上げた。そもそも人の嫁のやることについて、大きなお世話だっていうんだ。堤は喉を五回鳴らした。
 堤の苛立ちを感じたのか、加藤は落ち着いて言った。
「絡んでるつもりはないんだよ。ただな、俺はおまえより歳食ってるけど、女房もいなけりゃ家もないって、ないない尽くしの男だからさ。そういう一つ一つに、何ていうか、夢があるんだよ」
 堤は黙って、話が見えるのを待った。
 加藤はセブンスターを一本咥えた。加藤のライターを探す素振りを見て、おかみさんがマッチを点けて寄越してくれた。
 加藤は煙を吐き出すと、揉めるつもりはない、といった表情で続けた。
「おまえはさ、俺に無いもんを手に入れていってるだろ。だから俺からしてみりゃ、おまえ、その一個一個、ちゃんと大切にしてんのかって、大切にしろよって、言いたくなるんだよ」
「してますよ」
──って、そういうに決まってんだ。だけどなって話だ。だけどな、俺みたいな立場のもんからしてみりゃ、小言の一つや二つ、言いたくなるんだ」
「わかってますよ、わかってますって。だから仕事もね、近場でもう少し日数とか勤務時間とか減らしてね、ラクに働いて良いんだよって、洋子にそう言ってやってるんですよ。こんな風に考えられるのって、洋子のこと、ちゃんと考えてるからこそでしょうよ」
「だからそれが違うんじゃねえのかって言ってんだ」
 加藤は首を振った。
 どうにも噛み合わない。堤は不快を顕にして睨んだ。「何がっすか」
「どうもおまえが全部握ってる気がすんだよ。洋子ちゃんの考えや意見はちゃんと聞いてんのか。希望は反映されてんのか」
「もちろんですよ。レジ打ちを強制なんてしてない」
 堤は思わず箸を相手の顔へ向けた。
「強制とまでは言わねえよ。ただ洋子ちゃんはおとなしいから、おまえの言うことを従順に聞いてる気がするんだよ。亭主の好きな赤烏帽子ってやつだ。自分の気持ちは二の次で、おまえの提案する(洋子ちゃんにとって良いこと)や(夫婦にとって良いこと)ってのを、ただひたすら信じて、従ってるような気がするんだ」
 会計のために立ち上がったサラリーマン連れが、一様に二人を見た。険悪な雰囲気が漂い始めているのを感じ取ったのだろうか。堤は冷たく一瞥した。
「洋子ちゃんはあれだろ、短大卒業後の進路について強く希望してる道がなくて、で氷河期だったことも手伝って就職はできなくて。それで当面の社会勉強にって、派遣社員としてうちに来てさ」
 そこに間違いはなかった。公言している本人の弁だ。
「それでおまえ、入社一年目にしておまえにとっ捕まって。おまえ何年目だったっけ」
「四年くらい」
「だろ、二十歳ちょいやそこらだろ。でそれで、赤ん坊──陽菜ちゃんができてさ。会社は二年目に入ってちょっとして辞めたんだ」
 堤は頷いた。
「そんなだから、洋子ちゃんにとって、おまえの存在は大きいんだよ。性格的にもキャリア的にもな。洋子ちゃんの中で、おまえという人間が占める割合は大きいんだ」
 加藤はタバコを灰皿に押し付けた。火種が消えきらなかったので、空いたジョッキに残る数滴分のビールをかけた。
「陽菜ちゃんが大きくなってから始めた、前の仕事はさ、十年とか続いたんだろ? それは確かにマイホーム貯金っていう目標があったから続いたのかもしれない。だけど十年も続けられるってことは、そんな中にあって、それなりに楽しくやってたからなんじゃねえのかなって思うんだ。わかるか? 言ってること」
 堤は返事をしなかった。
「たかがテレアポ。されどテレアポ。社会に出直して、楽しくやってた可能性があるってことだ。派遣でテレアポなんていったら、年齢も個性もバラバラのいろんな人間が集まってるだろうからな。若くして母親になって、しばらく育児に追われて過ごした女の子にとってみりゃ、そこは狭くても刺激的な世界だったかもしれねえ」
 堤は何も答えず、目をつぶってビールを飲んだ。
 もはや楽しい飲みの席ではなかった。
 人は、たとえば天気の話題のように、共通の対象について認識合わせをすることは好むが、こと対象が自分に及ぶと話は別だ。指摘されたことと自覚していることが一致したとしても、そこにポジティブな感情が芽生えることは中々ない。
 わかっているけれど、中々できないこと。わかっているようで、わかっていなかったこと。加藤は、堤のその領域に踏み込んでいる。
 堤は、加藤の思いがどういった種類のものなのか分からなかったが、少なくとも洋子のことをより親身になって考えているのだということを感じ取った。それがただ、面白くなかった。
 沈黙の後、四十台くらいのサラリーマン連れが、赤ら顔に上機嫌といった具合で店に入ってきた。どうやらここは二軒目らしく、仲間同士の些細な一言一句、一挙一動にいちいち大声で笑いあうおかげで、店内の雰囲気は一変した。
「やかましくなってきたな。ぼちぼち引き上げるか」
 加藤が切り出した。
「そうっすね」
 腹を満たし、ジョッキを空け、雰囲気が悪くなってきたところだ。断る理由はなかった。
 会計を済ませ、二人は店を出た。加藤の奢りだったが、堤は礼を口にする気分になく、無愛想に会釈するのが精一杯だった。
 駅に向かって歩き出し、二人揃ってマスクをつける。
「あ、そういえば、さっき会社でも思ったんだけど聞きそびれてたんだよ。おまえ今日マスクしてたっけ?」
「してなかったです。ただ現場入るんだったらホコリ避けのためにマスクいるなって気づいて」
「だよな、朝してなかったもんな。しかしバカだな、スギが落ち着いてきたからって調子に乗ったら裏目に出ちゃったんだな」
 加藤は堤が気分を害していることに気がついていないようだった。堤は、それが酒のせいだけではないことをわかっていた。加藤はスイッチを入れると鋭いところを見せるのだが、もともと鈍感で、一晩眠れば細かいことはきれいさっぱり忘れてしまうという大雑把な性格の持ち主だった。
 夜風に触れ、険悪なムードに気づいていない加藤のお気楽な様子を見ていると、堤もほとぼりが冷めてきた。
「現場の最寄のコンビニに寄ったら、いいマスクが売り切れちゃってて。一番安物のこれしか残ってなかったんすよ。でもやっぱダメですね、隙間が空いちゃって。おかげでくしゃみ鼻水鼻づまりがすごくてね、さっき会社戻ったときに薬飲みましたもん」
「ははは。しかしおまえ、酒飲むってわかってて薬飲んだの? 眠くなんねえか?」
「あ」
 言われてみれば、そうだった。
 堤は、疲れのせいかと思っていたが、どうりで最初からとろんとした感じがあるわけだと、飲みの席を振り返った。だからどこか余裕がなくて、苛立ってしまったのかもしれない。
 他愛もない会話をしているうちに新宿駅に着き、加藤のじゃあな、の一言を以って二人は別れた。
 中央線のホームの自販機で水を買い、堤はベンチに腰掛けて携帯を確認した。着信ありを示すアイコンが、待ち受け画面上に光っていた。開いてみる。
 六時五十七分:洋子
 会社で加藤と合流し、店へ向かおうとしていた頃だろうか。堤はまったく気づいていなかった。今日は飲みに行くから遅くなると連絡したにもかかわらず電話してくるなんて、一体何の用だろうか。
 堤は訝ったが、着信は一度きりのようだし、かけ直そうにももう十時半を過ぎている。今さらコールバックはいらないと判断し、堤は電車が来るまでの間、少し眠って待つことにしようとベンチに座り、腕を組んで目を閉じた。

 

 

 

 

 深夜の住宅街は、静かだった。
 表の国道は車の往来や人影もまばらにあったが、一つ裏通りに入っただけで世界は姿を変えた。堤は住む町の情景のまた新たな一面を見た。
 喫茶エコーの角を曲がり、私道を進む。草間療術院、大江家、牧野家、伊藤家は灯りがついていなかったが、一番奥の阿部、木村の両家の二階からは似たような橙色がかった電球色の輝きがこぼれていて、暗闇の区画に見事な左右対称を描いていた。
 時刻は十一時半近くになる。遅いといえば遅いが、大人が眠る時間かといえば、何とも言えないところだなと堤は思った。
 まだ眠らぬ阿部夫妻と木村は、それぞれの領域で一体何をしているのだろうか。酒に酔った堤の関心は、老夫婦である阿部夫妻よりも、木村の方へ偏っていた。
 堤は木村家の二階を見た。引っ越してきてかれこれ一ヶ月近くになるが、未だに旦那には会えていなかった。出張にでも出ているのだろうか、よほど多忙な身なのだとみえる。
 主人の帰りを一人静かに待つ、物憂げな美女。
 妄想が暴走する間もなく、堤は家の前に到着した。
 我が家を眼前にすると余計な考えは自然と消え、堤は大きく深呼吸して、木造の城を見上げた。
 ──おまえはさ、俺に無いもんを手に入れていってるだろ。
 加藤の言葉が響く。返事するように堤は呟いた。
「何を手に入れたってんだよ」
 結婚。子供の誕生。マイホーム。
 手に入れていない加藤からすれば、それらはまばゆい物なのかもしれないが、手に入れた堤にしてみれば、意見は異なる。
 人間は慣れていく生き物だ。物欲が満たされたときと何ら変わらず、興奮や快感、感動の度合いといったものは薄れていってしまう。それは当たり前のことではないのだろうか。
 堤は首を振った。夜道に一人では誰の同意を得られるわけでもない。鞄からキーケースを取り出し、鍵を開けた。
 間接照明だけ灯したリビングから、洋子が現れた。
「おかえり」
 スウェット姿の洋子は、寝ている子供を起こさないでほしい母親のように、小さな声で出迎えた。
「びっくりした。起きてたの」
 堤が調子を合わせることなく大きな声で返すと、洋子は弱々しく微笑んだ。
「うん。ちょっと眠れなくて」
「どうしたの」
 言葉に態度が伴っていなかった。堤はきちんと並べられた陽菜のローファーの隣に靴を脱ぎ、洋子の脇をさっさと抜けてキッチンへ向かった。冷蔵庫からペットボトルの水を取り出し、ものすごい勢いで飲み始める。 
「晩ごはんの時にね、ちょっとあって」
 洋子はキッチンへは続かず、ダイニングの入り口で壁にもたれかかったまま話した。
「祐介さ、引っ越してきた時に言ってたでしょ。大江さんの話」
「ん、んん」
 飲みながら返事する。
「なんか癇癪起こしてどうこうっていう。でも一回もなかったでしょう? でも今日ね、見かけたの」
「マジ」
 堤は一言だけ返すと、ペットボトルを冷蔵庫に戻し、キッチンの蛇口をひねって顔を洗い出した。
「ねえ、もうすごく怖かったんだよ。白髪混じりの短髪でね、目とかギラギラしてて。でちょっとハスキーなのかな、乾いた感じの声で、すごい大きい声で、こう右往左往しながら怒鳴ってんの」
 洋子は興奮気味に、大きな声になっていた。
 顔を袖で拭うと、堤は繰り返した。
「マジか」
「いや、マジか、じゃなくて」
 洋子は苛立った様子で腕を組んだ。
「悪りい。ちょっと今度にしてくんねえかな。すっげえ眠くて」
 堤は上着を脱いでイスにかけ、次にネクタイを重ねた。今日は無理だというアピールを兼ね、さっきから洋子と目を合わせようとしなかった。
 洋子の脇を抜け、リビングの奥の寝室へ移る。
 酔っ払い相手では仕方がない。洋子は気を取り直し、後に続いた。
 堤はベッドの脇でベルトを外し、その場でスラックスを脱ぎ落とした。朝脱いで掛け布団の上に放り出していたままのスウェットに履き替えると、振り返り、洋子に向かって言った。
「風呂、明日朝イチで入るわ。今日はもう寝る」
「ねえ、あのね、陽菜のことなんだけど」
 洋子は別の話題を振ってみた。これならば食いつくだろう、洋子はもったいぶるように話した。
「学校で、仲のいい子ができたらしいの。それがさ」
 言いかけたところで、堤がYシャツを突きつけた。
「あのさ、ごめん。今日調子悪くなってさ、薬飲んだの。朝は調子良かったんだけど、現場仕事で埃まみれになっちゃってさ、だんだん鼻がグズグズいい始めて。だから薬飲んだんだけど、薬飲んだってのに酒飲んじゃったからさ。もうすっげえ回っちゃってんだよ」
 洋子は思わず口をぽかんと開けた。そして肩を落とし、Yシャツを受け取って訊ねた。
「明日、何時に起こせばいい?」
「六時半」
 堤は今度こそベッドにもぐりこんだ。
「ごめんな、本当悪りい。薬飲んで酒飲むとやばいね。じゃ、よろしく」
 そう言ってあっという間に眠りに落ちた夫を見て、洋子は首を振った。
「薬飲んでお酒飲んでって、知らないよ、そんなこと」
 洋子は部屋を出た。が、すぐに引き返し、Yシャツを堤の顔に投げつけた。
「あんたが悪いんじゃん」
 汚れものに埋もれた堤は、ガゴっといびきで返事した。

 

(つづく) 

 

 

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