コロコロvs抜け毛

「自分自身との終わりなき闘い」

【ホラー小説】袋小路(7)

拙くて恥ずかしい限りですが、むかし初めて書いたホラー小説を公開致します 


 【ホラー小説】袋小路(7)

 

 空調が悪い。Yシャツの第一ボタンを外して襟元をグイと開くと、扇子でバタバタと風を送り込んだ。先日、父の日の贈り物にと陽菜がくれたものだ。ケンカしたり仲直りしたり、関係性は日々めまぐるしく変化するが、こうして贈り物をくれるところからして、何だかんだうまくやれているのだろうと実感する。中学三年生という難しい年頃であることを鑑みると尚更だ。
 母親がずっと亭主の悪口を言っているような環境下で育つと、子はそれに倣い、父親を嫌うのだという。そう考えると洋子に感謝せずにはいられない。父と娘の関係が良好なのは、ひとえに妻の陰ならぬ支えがあってこそなのだ。
 日々忙殺されている疲れのせいで、ゴールデンウィークにショッピングモールへ出かけて以来、休日にこれといった家族サービスができていない。堤は卓上カレンダーを眺めた。近ごろ洋子があまり元気がないようにも見えるし、そろそろ何かしてあげなくてはいけないと思う。
何をしてあげようか。どこかへ出かけてみようか。
 窓の外に目を向けると、うんざりするような灰色が空を覆い尽くしていた。
 おかえりなさい、という同僚の声がしたかと思うと、加藤の声がした。
「おう堤、メール見たか」
「何の件すか」
 遅い昼食の後、部下が作った見積書のチェックしかしていない。
「前に話したと思うけど、来年度の大型案件のヤツだよ。会議の周知来てる」
 加藤はデスクの上にブリーフケースを置いて、中からモバイルPCを取り出した。どうやら外出先で確認したらしい。
「ああ、夏前にやるって言ってましたっけ」
「そ、それそれ。来週金曜だってよ」
「大阪?」
 加藤が頷いて返す。
「マジすか」堤は背もたれに目一杯体重をかけた。
「面倒くせえか」
「正直」
「そう言うなよ。ちょっと羽伸ばそうや」言い方にいやらしい響きが伴う。「洋子ちゃん大事にしろとか常々言ってるけどさ、それとこれとは別だからよ」
「無茶苦茶っすね」
 堤は上司にしかめっ面を向けた。
「最近、根詰めてるから、労ってやろうって言ってんだよ」
「そりゃどうも」堤は缶コーヒーを一口飲んだ。
「洋子ちゃん、元気してんか?」
 加藤は煙草を咥えた。喫煙所に向かう前に、自席にいる段階で煙草を咥えるのが癖なのだが、喫煙所まで我慢できないものなのかといつも不思議に思う。
「元気っす。まあ、一応」
「陽菜ちゃんは? 仲良くやってんか?」
 堤は返事をする代わりに扇子を大げさに閉じて開いて見せた。
「お、プレゼント?」
 どうだ、と言わんばかり自慢げな顔をして見せる。それちょっと見せてくれよと加藤が手を伸ばしてきたところで、後ろから同僚に呼ばれた。
「堤さん、電話です」同僚の顔に少し緊張の色が浮かんでいる。「ご家族から、です」
 家族? と首をかしげる堤。
「珍しい。噂をすればってやつか」
 堤の手から扇子をもぎとりながら加藤が茶化す。
 転送を受け、堤は受話器を取った。「はい、代わりました」
「お父さんっ」陽菜の声。何だかとても焦っているようだ。「お父さん、大変、お母さんが倒れたの」
「えっ」
 思わず大きな声が出た。陽菜はつづけた。
「伊藤さんがね、教えてくれて、今病院、大丈夫だと思うけど、わかんない」
「ちょ、ちょ、待て、陽菜。……落ち着いて?」
「どうしよう、来れる?」
「陽菜、ちょっと落ち着いて。わかんねえよ、今どこにいるんだ」
 堤はデスクに前のめりになった。受話器を持つ手に力が入る。
「病院」
「お母さんは?」
「今なんか、検査だか何だか」
「検査って何? 何があった」
「あのね、仕事中に倒れたみたい。伊藤さんが教えてくれた」
「伊藤さんって」
「だからさっきから言ってんじゃん、お隣の」
 聞いていない。が、ピンとこなかった自分も悪い。「ああ。で?」
「伊藤さんが見かけたみたいなの、運ばれていくとこ。あたし学校帰りで、家に着く前に伊藤さんに会って。何だろ、あたしに教えてくれようとウロウロしてたのかもしんないけど、伊藤さんに会って、教えてもらって」
 陽菜の混乱している様子が窺える。話が、頭が整理できていないようだ。
「教えてもらって、それで?」
「それだけ。まだ何もわかんない。しょうがないじゃん! あたしも今来たとこなんだもん……」
 陽菜の声に焦りと苛立ちが伴う。隣では加藤が扇子をゆっくり仰ぎながら、怪訝そうな表情で見つめている。
「わかった、すまん。病院どこだ」
「稲田病院」
「稲田……ああ、わかる」
「来れる? 不安なんだけど」
「わかった、すぐ行く」
「お母さん大丈夫かな」
 その場にいないサラリーマンに尋ねたところで適切な回答など出ないことは明らかだが、一人娘の心の支えは父以外にいない。
「大丈夫、大丈夫だよ」思わず、落ち着けという手振りをしてしまう。「とにかく今から行くから。一応携帯、繋がるようにしといて」
「大丈夫。電波ちゃんと入ってる」
「よし。充電は」
 一瞬間をおいて、平気、と返答。
「よし、じゃあ行くから、大丈夫だから、落ち着いて、な? 座って待たせてもらえ」
 わかった、という陽菜の返事を確認すると、堤は受話器を乱暴に置いた。気が気で仕方がないのだろう、加藤が顔を寄せる。「堤?」
「すんません抜けます。洋子が倒れたって、陽菜から」
 加藤の扇子を煽ぐ手が止まる。事情を説明すると、加藤は狼狽した。
「わ、わかった。どうする、送ろうか」
「大丈夫です。タクシー拾います。すみません、その代わりパソコン落としといてもらっていいすか」
「お、おう、わかった。この扇子を持ってけ」
 加藤はちょっとしたパニックに陥っているのか、戦いに挑む武器だと言わんばかり、自分が用意したかのような振る舞いで扇子を手渡した。
 狭い部内に緊張が走っているのがわかる。堤は他の面々に目もくれず、急いで会社を飛び出した。

 

 その手に握り締めている携帯から着信音が鳴っている。明らかに気づいているだろうに一向に開こうとしない陽菜を見かね、陸が言った。
「ハルちゃん、携帯鳴ってるよ」
 陽菜は首を振った。「これお父さんじゃない」
「あ、着信変えてんだ」
 陽菜は人によって着信音の設定を変えていた。この場面、無用な電話やメールは応対しないつもりだった。
 目の前のベッドで眠る母を、陽菜はじっと無言のまま見つめていた。顔色が悪く、頬も少しこけている。点滴の針が刺さる左腕が、病気とは無縁の陽菜にはとても痛ましく感じられた。どうしてこんなことに。
 散々泣いたせいで鼻が詰まっていた。携帯を椅子に置いて、鼻をかもうとティッシュをかまえたところで、再び携帯が鳴った。
 さっきと違う音。
 陽菜は豪快に鼻をかむと急いで携帯を手に取り、通話ボタンを押した。
「お父さん」
「陽菜。もうすぐ着く」
「わかった。ロビーに来て。行くから」
 携帯を閉じると、陸が行こうと頷いた。
 外来の受付時間が過ぎているロビーは人影もまばらになってきていた。陽菜と陸が、誰にも叱られない程度の小走りで駆けつけると、ちょうど入口の自動ドアが開いて堤が入ってきた。
「お父さん! こっち。大丈夫みたい。今寝てる」
 陽菜はすぐ踵を返し、来た道へ戻り出した。
「大丈夫なのか」
「貧血みたい」
「貧血……検査は?」
「よくわかんないけど、大丈夫みたい。貧血だろうって」
 堤は二人の後に付いてくる学生に目を向けた。視線に気づき、陸は小声で挨拶した。「あの、すみませんこんな時に。岡本といいます」
 堤は前を行く陽菜に目を向け、暗に紹介を促す。
「クラスメートの岡本陸くん。うちの近所の塾で、一緒に帰ってきてて、ずっと付き添ってくれてて」
 陽菜が振り返りながら早口で説明した。なるほどと頷く。
「そう。陽菜がお世話になってます。悪いね、何かバタバタに巻き込んだみたいで」
 陸は居心地が悪そうに頭を下げた。「いえ」
 エレベーターに乗り込み、病室のある三階へと向かう。扉が開くと同時に陽菜が出て、早足で引率した。
 急きょ用意された角の病室は二人部屋だった。もう一つのベッドは空席で、部屋はしんと静まり返っていた。
 堤は陽菜を追い越して駆け寄った。「洋子っ」
「ちょ、寝てるから」
 青白い顔をしているが、洋子はすやすやと眠っている。
「貧血?」
「だからそうだって」
 堤は落ち着かず、わかりもしないのに点滴袋の薬品名を確認しては、洋子の腕の針を見た。 
 入口付近で距離を取っていた陸が口を開く。「あの、自分、ここで」
「ああ、ありがとう。悪かったね」
 堤はチラッとだけ陸を見て、またすぐ点滴に目を移して難しい顔をした。
「お父さん! ずっと心配して付き添ってくれてたんだよ」
「ハルちゃん、いいから」
「だって」
 堤は聞こえていない素振りで、点滴と洋子の顔を忙しなく見比べた。
「じゃ、失礼します。ハルちゃん、また明日」
 ささやきながら小さく手を振る陸に、陽菜は眉根を寄せながら頭を下げた。
 陸が去ると、陽菜は一脚しかないパイプ椅子にどさりと座り込んだ。呆けた顔でベッドの上の母を見下ろす。
「お母さん、何か疲れてるよ」
 陽菜の傍に立ち、同じように妻を見下ろす堤。
「お父さん、気づいてた?」
「そんな感じはしてた」
「なら良いけど。でも、何で?」
 正直、わからない。堤は首を振った。「お前、何か心当たりないのか」
 陽菜も同じ仕草を返した。「……だけど、どんどん調子悪くなってるみたいだった。調子悪くて、ずっと病院……じゃなくて何だっけ、近所のあそこ通ってるんだけど」
「そうなのか?」
「うん。なんだけど、全然よくならないって言ってた」
「よくならないって、何が?」
「よくわかんない。疲れとか、ストレスとかじゃないの」
 堤は腕を組んだ。
「仕事は前より楽なはずだから、じゃあ──
「ストレス?」
「なのか?」
「だからあたしに聞かないでよ! ……わかんない」
 陽菜は苛立たしげに手をばたつかせた。
 堤は小さく頷き、考えを巡らせる。
「やっぱり、新しい環境で生活始めて、色々、あったのかもな」
「そりゃそうでしょ」
 堤は手持無沙汰に、点滴の袋を触った。「そういう意味だと、お前もそうだよな。学校とか、大丈夫か?」
「あたしは大丈夫」
「だったら良いけど」
「でもお母さんはね。すごい痩せてきてたし」
 堤が黙り込むと、陽菜は少し問い詰めるように言った。
「ねえ、仕事は前より楽なはずだってさっき言ってたけど、そういうの良くないんじゃないの?」
「どういうことだ」と堤。
「仕事のことよくわかんないけど、どっちがどうキツイとかなんて、本人じゃないとわかんないんじゃないの」
 加藤の言葉が脳裏をよぎる。ちゃんと大切にしてんのかって、大切にしろよって、言いたくなるんだよ──
「そうかも、な」
 ずっと頑張って、我慢して、連れ添ってきた洋子。糟糠の妻を、堤はいろいろな感情の入り交じった目で見つめた。
「別に、お父さん責めるつもりないけど。二人が元気に仲良くやってくれれば、それがあたしにとっても一番だから」
 段々と小さくなっていく娘の声を聞いて、堤は胸が締めつけられる思いがした。思わず頭を撫でる。
「悪かったな、色々」
 大丈夫、と陽菜はぽつりとつぶやいた。
 堤は窓の外を見た。この病室は、病院の出入り口の方角を向いていたらしい。見下ろすと、ちょうど陸が出て行くのが見えた。
「さっきの彼、こないだ話してた子か」
「彼氏じゃないよ」母の方に向いたまま答える陽菜。
「とにかく、そうなんだろ?」
「そう。岡本陸くんっていうの。……ずっと心配してくれてたんだよ」
「素っ気なかったか? さっき。悪かったな」
「そうだよ、もう少しさ──って、もういいか」
「礼儀正しい子だな」
「いい人だよ」
 こちらに気づいたかどうかわからないが、陸は一度だけ病院の方を振り返り、その先へと消えて行った。
 堤はカーテンを閉めると洋子に歩み寄った。
「なあ、お母さん、痩せてきたって言ってたけど、メシ食ってるか?」
「知らないの?」
 陽菜の返事に非難の色が混じっていることを感じ、慌てて訂正する。
「ちょっと食が細くなってるかな、とは思ってたけど。ほら、帰りが遅くて一緒に食えない日もあるからさ、そん時はどうなんだろって意味」
 そういうことかと陽菜が頷く。「んー、食欲は、減ってきてるかも」
「拒食──
「ってわけじゃないと思う」陽菜が否定する。「吐いたりもしてないはず。ただ何か、ずっと気だるいせいで、食欲が少しずつ減ってきてるっていうか──
 そういう感じか、と堤。
「ねえ、あのさ」陽菜は唾を飲み込むと改まって言った。「笑わないで聞いてほしいんだけど」
 堤は小首を傾げて先を促した。
「あたしね、お母さん、呪われてるんじゃないかって気がして」
「はい?」
「だって、あたしとお父さん元気じゃん。お母さんだけでしょ。引っ越してきてから何か調子悪くしてんの。でね、気づいたことがあるんだけど、あの近所の癇癪起こす人」
「どうかしたのか?」
「最近あの人の癇癪が増えてきてて。で、お母さんが痩せてきたのも何かそれからのような気がするの」
「それがストレスってことか」
「うん。だってうちの方見ながら意味分かんないこと叫んでんだよ。デレケ、とか。ダッキャダー、とか」
「何だそりゃ。毎日? 毎回うちの方見てんの?」
「毎日じゃないし、毎回確認してるわけじゃないけど……。でも何回かは見た」
「お前は大丈夫なの?」
「大丈夫。だからね、ウチらがいない間、お母さんだけの時間とかに、何かあるんじゃないかって気がするの。何か、呪いをかけられてるとか」
 陽菜は真剣だ。堤は不気味なムードを振り払うように手を広げた。
「そりゃねえよ。呪いは、ねえって……」
「だけど、とにかく、何か、気持ち悪いよ」
 陽菜が淡々と呟く。堤は病室に嫌な雰囲気が漂い始めた気がした。窓の外を見て、自分に言い聞かせるようにささやく。「何にせよ、もう少し気遣ってやんなきゃ、な」
 夕暮れ時に向かっていることもあってか、空を覆う雲は先ほどよりも暗さを増していた。不気味な話題のせいか、厚くいびつな塊が重なってできた雲が、狡猾な笑みを浮かべた悪魔の顔のように見えてしまう。
「雨、降らないかな」
 堤は独り言のようにつぶやいた。
 雨雲であってほしい。雨でも降ってくれないと、不気味な雲を受け入れられそうになかった。

 

 

 

 

 信号が青に変わり横断歩道を中ほどまで進んだところで、陽菜は、あっと声を出した。渡った先、左に折れて国道沿いに進む女性の横顔を何気なく見たところ、どうやら隣家の木村らしかった。
 女性の後に続く。一つ目の角を右に折れて裏通りに入ったところで、陽菜はそれが木村であると確信した。小走りに追って、声をかける。
「きーむーらさんっ」
 ヒールが止まり、栗色の髪が振り返る。きょとんとする女性の顔を見て、陽菜は笑いながら駆け寄った。
 声の主が陽菜だと気づき、木村は笑顔を浮かべた。
「ああ、陽菜ちゃん。こんにちは」
 帰路は同じだ。二人は確認し合うでもなく、並んで帰ることにした。
 ヒールの分だけ目線が高い相手に、陽菜は訪ねてみたいことがあった。単刀直入に切り出す。
「ねえ、聞いていっすか?」
「あは。男の子みたい。何?」
 バッグを持ち替え、陽菜の側の髪をかきあげて耳にかける。陽菜ははにかんで言った。
「どうやったらそんなに綺麗になれるの?」
「ええ?」
 突然何を言い出すのかと思わず吹き出した木村に、陽菜は、意中の女性に思いの丈をぶつけようとする奥手な男のように、勇気を振り絞って続けた。
「木村さん、超キレイだよ」
「そんなことないよ」
「ある。メッチャ」
 少し歩みを止めた二人は、またゆっくりと歩き出した。陽菜の質問は続く。
「何かしてるの?」
「特別なこと?」
 そう、と興味津々な様子の陽菜。
「何かよくある、モデルさんへの質問みたいね」
 陽菜はうんうんと頷いて、答えを促す。
「でも、そうね、よくある回答で申し訳ないんだけど……」
「ええ、『特別なことなんて、何もしてないですう』ってヤツ?」
 木村は困った顔をした。「そう」
「ごはんも超食べるしって?」
「そう、かな」
 木村が苦笑すると、陽菜は目を細めて訝った。「ウソだ」
「ごめん、ごはん超食べる、は嘘かな。一人でつまんないし。でも特別なことしてないってのは本当」
 信じてくれる? と小首を傾げる。
「じゃあ何でそんな、白くて細くて綺麗になれんのー」
「歳のせいじゃない?」
「納得いかない」
 前から乗用車が一台やってくる。木村は陽菜の肩に優しく手を添えて路肩へ寄せた。
 一歩先を行く陽菜の背中に言う。「そうだ、陽菜ちゃんのお母さんだって、白くて細くて綺麗じゃない」
「最近は、ね。でも元々は普通だよ」
「綺麗じゃない」
 車が通り過ぎ、また隣に並ぶ。
「そうなのかもしれないけど、やっぱりお母さんだと、ピンとこない」
「ピンとこない?」
「うん。親子だと、憧れる、とかにはならない」
 そりゃそうか、と木村は指を唇にあてて視線をさまよわせた。
「あたしね、木村さんみたいになりたいの」
「またまた」
「だからホントに、ホントのホント」
──そう。ありがと」
「お母さんもそうなんだよ。お母さんも、木村さんのこと、綺麗だって言ってた」
 陽菜は、どこか告げ口するような後ろめたい気持ちになったが、相手を褒め称える内容なのだから問題はあるまいと思った。相手の反応を窺うようにそっと見つめてみる。
 目が合った瞬間、木村は目をそらした。喜ぶか、照れくさそうにするか、どちらかだと思っていたのに、その横顔はどこか強張っている。
 期待はずれの反応、陽菜は少し唇を尖らせた。
 それぞれの我が家が近づいてくる。陽菜は喫茶エコーの看板指差した。
「ねえ、あのエコーって店、行ったことある?」
 木村は首を振った。
「美味しいのかな」
「ねえ?」木村はいつもの顔に戻っていた。
「あ、あのね、草間療術院っての、あれ超いいって。木村さんが紹介してくれたんでしょ? お母さんに」
「え、ええ」
 陽菜は自慢話のようにツンと鼻を上げた。
「ハマってるよ。ホント気持ちいいみたい。でね、今度ね、あたしも連れてってもらうの」
「え」
「親子だから、お友達紹介キャンペーンにはならないとか何とか、お母さん言ってたな。木村さん、キャッシュバックもらった?」
「あ、ああ。どうだったかな」
「千円でしょ。欲しいよね」
 木村はそれには応えず、陽菜に訊ねた。
「ねえ、陽菜ちゃん。お母さんと一緒に行くの?」
「そうだよ」
「順番にやるのかな? 何をやってもらうつもり?」
「んー、よくわかんない。行ったことないし。でも、若いからコリはないだろうし」
「そうよね」
「で、あたし丸顔が気になるってお母さんに話したら、じゃあリンパマッサージとかやってもらったら良いかもって言ってた。あと、鍼で刺激を与えるのもいいかもって」
「鍼」
 ちょうど眼前に迫った、草間療術院の看板を見上げる。(マッサージ、灸、鍼、お気軽にご相談下さい)とある。
 楽しみ、と言いながら角を折れて先を行く陽菜の背中に木村は訊ねた。
「ねえ陽菜ちゃん。それ、いつ行くの?」
 掃除当番がふざけてバケツを振り回すように、陽菜はバッグを振り回しながら振り返った。
「来週。お父さんが出張の日があるんだって。たまには女二人でゆっくりしようかって、お母さんと盛り上がってるんだ」
「来週、いつ?」
「んー、いつだったかな」陽菜は答えに詰まったまま、門扉を開けた。「忘れちゃった。じゃねっ」
「あ、ねえっ」
 木村が何か言いかけたが、陽菜は手を振って玄関を閉めた。

 

(つづく) 

 

 

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 <あらすじ>

 些細な問題から合コンの予定をパアにしてしまった飯野淳司は、仲間から罰ゲームをさせられることになる。

「いまから俺らの前を通る五人目を、ラブホテルに誘うこと」

 渋々応じる淳司の前に現れた五人目は、偶然にも以前電車で席をゆずったことのある不気味な女だった。酒に酔ってそれと気づかぬまま声をかける淳司。肯定する女。ふたりは、流れで関係をもってしまう。
 後日、淳司は自宅のベランダから思いもよらぬものを見た。アパートの表の電話ボックス。淳司の部屋をじっと見上げていたのは、例の女だった。
 女のストーカー化を懸念した淳司は、ふとした思いつきで難を逃れようと企てた。しかし後先を考えないその行為がさらなるトラブルを引き起こし、女を思いもよらぬ狂気へと駆り立てる。

 この女からは、逃れることはできない──絶対に。