★アマチュアファンタジー小説家応援企画★
むかし人生で初めて書いたファンタジー小説を公開します! プロットって何?って知識レベルで思いつくまま書きなぐった黒歴史。恥さらし上等、アップするにあたり修正なし。
名もなきファンタジー小説(7)
一行は山道を上った。ナギに合わせてペースダウンしたつもりはなかったが、上り坂であることに加え、段々と雨足が増してきたことも手伝って、随分とゆっくりになっていた。
六人の間隔は狭くなり、支え合うようにして進んだ。限界が近い足腰に、延々と続く砂利道がとても厳しく感じられた。
ナギは、この道はとても長靴では上りきれないなと思った。独り言の癖で口を開いたが、疲労困憊で声は出なかった。
冷たい雨が頬を叩く。
雨は疲れた身体を癒してくれるようで気持ち良くもあったが、同時に体力が奪われていくような気もした。
「このちょっと先に洞穴がある。そこで一旦休もう」
ゼフが提案した。
「助かるよ。さすがに疲れたわ」
ジャモが音を上げる。
みんな辛そうだった。
砂利で覆われた山肌の深い灰色と、空を覆う淡い灰色。濃淡こそあれ世界は灰一色で、生気が感じられない。
ユカやタダンダ周辺とは異なり、少しずつではあるが草木が点在し始める地域にまで来ていたこともあり、青空の下の平原では旅気分は高揚していたが、疲れが蓄積してきたところにこのように世界が塗り替えられてしまうと、勇ましさはすっかり、なりを潜めてしまった。
「もうすぐだ。その曲がり道の左手にあるはずだ」
ゼフの言葉どおり、そこにはあまり大きくはない洞穴が口を開いていた。
一行は中へと入った。
「あー、腹減ったよ」
ベロンが愚痴ると、奥にまで声が響いた。
「奥まで行かなくていいだろう?」
リッティがその場に座り込むと、ゼフもそれで良いと、背負った荷物を降ろした。
ナギも倣って座ろうとした時、サキが洞穴の奥の方を睨み付けているのに気づいた。
「サキ、どうしたの」
どうせ返事はないと分かりつつも、ナギは声をかけた。
みんながサキを、続けざま洞穴の奥の方へと目をやった。
薄っすらと明るくなっている。明かりが灯っているようだ。
「おい、誰かいるんじゃないのか」
ジャモが言うと、奥で影が揺らめいた様に見えた。
全員に緊張が走る。座り込んだばかりだったが、皆立ち上がった。
また影が揺れた。
二度、三度と揺れたかと思うと、奥から大柄な男が次々と顔を出した。
「誰だ? 勝手にウチにあがってきたのは」
チッ。ゼフは舌打ちすると、振り返って小さい声で早口にまくしたてた。
「金。俺が囮で、リッティが本命。だがリッティも囮。ナギを後ろへ」
暗号のような言葉だったが、認識合わせをしている暇はなかった。後は運を天に任せる、そんな感じだった。
ゼフを先頭、二列目にジャモとベロンが並び、その後ろにリッティが立った。サキとナギは最後列に自然と回された。
「これはこれは、ようこそ、ウチへ。うあはははは」
先頭の男が話しかけてくるなり、大声で笑った。近づいてくると外からの明かりにさらされ、薄っすらだが顔が見えた。脂ぎったボサボサの長髪に、同じようにボサボサに伸びた口ひげ。ひげに覆われた口を豪快に開けて笑うと、中からガタガタの黄色い歯が覗いた。
後ろから次々と男が出てきた。兄弟かと思ってしまうほど、似たり寄ったりの大男ばかり。大男たちは皆、茶色い革のベストを羽織り、丸々太った腕の先には木と岩で作られた槌が握られている。
「山賊、かな」
リッティが相手から目をそらさないまま小さく振り返り、半信半疑ながらナギに説明する。
「やばいな」
大男は四人だった。
話しかけてきた先頭の後ろに、三人が横並びになった。
先頭の大男とゼフが、代表して対峙するような格好となった。
「金は」
単刀直入だった。
「出すもの出せ、おら」
山賊がゼフに要求する。
出会いがしらの一方的な要求にジャモは憤りを感じたようだったが、一歩詰め寄ったところでゼフに後ろ手に止められた。
ジャモと背丈、体格は同じくらいだが、相手は四人だ。どう考えても分が悪かった。
「金はないんだ」
ゼフが答える。
「そんなわけないだろう」
「本当なんだ、金はない」
信じられるかっ。後ろから野次が飛ぶ。援護射撃を受け、先頭が厭らしく笑った。
「金はないは認められない。この洞穴は俺たちの根城だ。勝手に入ったからには、しくはく料金をもらわんとなあ」
呼びかけに応じるように、三人が下品に笑った。
宿泊料金のことだろうか。ナギは思った。頭は悪く、傲慢で、獰猛。厄介な連中だと判断した。どう切り抜けるのか。
「金はないんだ」
ゼフは繰り返す。
「じゃあ、おまえらどうやって食ってるっていうんだ」
山賊の問い。ゼフは振り返った。
「……ベロン」
この位置関係なら視線は悟られまい。ゼフは目配せした。ベロンの腰の辺りに強い視線を送る。
ベロンは理解したようだった。一度俯くと、怯えた表情をつくって顔を上げた。
「あの、ボクが食べ物を管理していて」
ガサゴソ腰の革袋を取り出す。
「これ、これなんですけど」
そう言って革袋の中を見せた。
それはベロンが口寂しい時に齧っている木の実だった。
「さっき干し肉を食べちゃったから、今はこれしか」
自分たちもひもじい思いをしているのだという演技のようだ。
あながち嘘ではないが、山賊はどう反応するか。ナギは注意を払った。
「それはそれだ。何度も言わせんな。金を出せ。財布がないとは言わせねえ」
山賊は苛立っているようだった。さすがに六人の大所帯で、誰一人金を持ってないというのは通じるわけがなかった。
「くそっ」
ゼフは顔をしかめた。
やがて観念したように鞄を弄ると、中から革財布を取り出した。
「分かった、渡すから、勘弁してくれないか。中身は本当に、無いに等しい」
ゼフは財布を手渡すと、勝手に洞穴に上がり込んですまなかったと言い添えた。
「最初からそうすりゃ良いんだよ」
山賊は受け取ると中を開いて見せ、四人で確認し合った。
こいつら本当にしけてやがるぜ。山賊が好き放題に罵りながら中身を確認している間に、ゼフが振り返った。行くぞ、と口の形で言う。
ゼフの指示どおり、二列目、三列目と順に出口の方へ向き直る。リッティに肩を叩かれ、ナギが振り返ったその時だった。
「おい」
山賊が呼び止める。まだ逃がさない、といった響きに満ちていた。
「何だ」
「ずいぶん大人しいんだな。デカイのもいる割には」
挑発されていると分かったが、ジャモは何も言わない。
「まだ、金あるんじゃないのか。そんな気がするなあ」
鋭い、ナギは緊張した。
ジャモがここで口を開いた。
「ウチは金はまとめて管理することにしてんだ。金勘定に向いてねえ奴は、持たせてもらえないことになってんだ」
ジャモは山賊の方へ振り返らないまま、ズボンのポケットを裏返しにしてみせた。
それはジャモの賭けだった。
ポケットの中を見せることで自分の疑いは晴らせるかもしれないが、仲間に対する疑いの目までそらせるかと言うと、そうはいかない。
だからと言って、仲間を名指しして「こいつも金を持ってない」などと直接的に庇ってしまうと、かえって注目させてしまう恐れがある。
だからジャモは、「金勘定に向いてない奴は金を持たせてもらえない」と、あたかも内部ルールがあるかのような曖昧な発言をするに留めた。そうして山賊に判断を委ねることで、注意を逸らせるつもりだった。
ただ一人を除いて。
山賊はゼフに後ろから近づくと、耳元で呟いた。
「お仲間は正直だぜ。へへ」
ゼフの肩をぽんと叩いて通り過ぎると、ジャモとベロンの間を縫って進む。
山賊は立ち止まると、威嚇するように腹の底から低い声を出した。
「お前、金持ってる気がするなあ」
ナギは、恐る恐るゆっくりと振り返った。
山賊は獣の様な目を光らせている。そしてリッティの肩を強く掴むと、繰り返した。
「お前、持ってるんだろう」
リッティは、演技なのか本気なのか、身体をガタガタと震わせた。そして同じように震える声で答える。
「頼みますから、暴力は、やめていただけますか」
山賊の手にする槌に目をやる。
頭ぁ。そいつビビッてやがるぜ。だっはははははははは。
後ろの三人が大声で冷やかす。
「出すもん出せ、おら」
頭と呼ばれた山賊は暴力うんぬんについて返事をしない。あくまで、もらうものをもらってから、というスタンスのようだ。
リッティは黙りこくると、上着の内ポケットに手を伸ばした。
「ほら見ろ。あるんだろう? この野郎。騙しやがって」
待ちきれないとばかり、山賊はリッティの頭を叩いた。
それは軽く叩いただけだったのだろうが、リッティの首が大きく弾けた。やはりこの連中と暴力沙汰になるのは得策ではない。ジャモが四人いるようなものだ。ナギは目の前の男の脅威に改めて慄かされた。
リッティは痛みを堪え、ゆっくり財布を取り出すと、山賊へ手渡した。
そしてすかさず、懇願する。
「あの、できれば、さっきの方だけでも、返してもらえませんか」
「ああ?」
今度こそ満足のいく中身かどうか、いざ数えんとしていただけに、リッティの申し出に邪魔され、山賊は苛立たしげに反応した。
リッティは怯まずにすがった。
「一文無しじゃ、生きていけません。どうか、さっきの方だけでも」
「はっ、お前、あんなはした金でどうするつもりだ」
「お願いします」
リッティが頭を下げると、あんなもんじゃ一日生き延びるのがいいとこだと罵声が飛んだ。
いくら笑われても構わないと、ジャモ、ベロン、そしてゼフも続いて頭を下げた。
山賊の頭はそんな面々に目もくれず、リッティの財布の中を勘定し続けた。
そしてそれがある程度満足のいくものだったのだろう、手元の財布に目を落としたまま、奥の仲間に、何かを投げるような仕草の合図を送った。
「へっ、頭ぁ優しいからな」
奥の山賊はそう言うと、ゼフの財布を洞穴の外に向けて放り投げた。
財布はゼフたちの頭上を越え、ナギとサキを少し過ぎたところでパサッと落ちた。
「しくはく料金、たしかに!」
山賊の頭はからかうように怒鳴ると、奥へ引き返した。
だははははははは、毎度ありー。
ジャモは握り拳を震わせていた。ゼフは黙ってジャモとベロンの背中を叩き、行こうと告げた。
「ありがとう、うまくいった」
ゼフは小声で言った。
全員の機転の利いた連携、演技によって、事なきを得た。咄嗟に浮かんだ思惑どおり、リッティの財布を本命に仕立て上げることで、ナギの持つ大金に気づかれずに済んだ。
リッティの財布とその中身については残念だったが、ナギの大金に比べると痛くもかゆくもない程度のものだ。口惜しいがそちらは我慢するしかなかった。
リッティはゼフの財布を拾い上げた。振り返ると、山賊はまだこちらの様子を伺っている。
「ふー。行こうか」
リッティは頭を擦り、ゼフに財布を渡した。
ナギは最後にもう一度振り返り、舌打ちした。
「くそっ、でも悔しいな。あんな馬鹿な奴らに」
「声がでかい」
リッティが咎める。
「しーっ。その注意の声がでかいよ」
ベロンはリッティに言う。
とっとと行こう。ゼフが後方から両腕を広げて仲間たちを促した。
先頭を切って歩き出したサキの前に、大きな影が立ちはだかった。
「誰が、馬鹿だって?」
「えっ」
その大きさに、ナギは喉元を見せる程に頭を上げた。
「う、あ」
「誰が、馬鹿だって?」
もう一度同じ質問をするその影の正体は、五人目の山賊だった。
ナギは夢を見た。
真っ白な世界。眼前にあるのは一面の白。立っているのか。
座っている。脚立の上に座っている。
眼前にあるのは、ベルベルルの家。外壁。
汚れていないか? 触れようと伸ばした手に、刷毛が握られていることに気づく。
ペンキをつけよう。バケツはどこだ。
バケツがない。バケツはない。
白が割れる。ゆっくり割れた間に黒が覗く。
黒は闇。闇は恐怖。ベルベルル、大丈夫なのか?
白は二つに開け放たれる。それは窓だ。
大丈夫。窓からネルコが顔を出す。
大丈夫、大丈夫。
ネルコが歌う。
ネルコ、何を歌っているの?
ネルコは指差す。
パウム。パウムはどこだ。今日は左か、果たして右か。
目をキョロキョロ。窓から白へ、白から白へ。
パウムはいない。バケツもなければ脚立もない。
自分の脚立もない。草原に尻をついている。
ネルコ、草原にしたのかい。
振り向くとネルコはいない。窓はない。
誰かいる。ネルコではない。パウムでもない。
サキだ。
サキが歌う。
ネルコと同じ歌?
サキ、何を歌っているの?
サキは笑う。
サキ、何を歌っているの?
サキは笑う。
気持ちが良い。ポカポカと暖かく、フワフワと柔らかく。
風が甘い匂いを運んでくる。
気持ちが良いな。
気持ち良いや。
サキ、歌えるんだね。
綺麗な声だ。
もう少しこのままでいたいな。
もう少し、このままでいよう。
チッ、チチッ
チッ、チチッ
ん――
何かが触れる。
「ゴッ……ホッ、ゴホッゴッゲホッ」
ナギは自分の咳で目覚めた。
バタバタバタバタ……。
「んん、ん?」
辺りを見回す。
「エホッ、ゲホッ」
咳が止まらない。ここはどこだ? ナギは頭が回らない。
一体ここはどこだ? 寝起きということもあるが、見たことのない世界、ナギは混乱していた。
「ゼフ?」
煙のようなものが視界を取り巻いていて辺りがよく見えない。
ゼフからの応答はない。
眠ってしまっていたらしい。地面には、草が生えている。
「うわ、なんだ、これ」
信じられない程の、草、草、草。
「すごい」
長いものや短いもの、太いもの細いもの、丸みを帯びた薄い緑色の葉を携えているものもあれば、先の尖った深い緑色のものもある。
旅を通して草木を見る機会が増えてきてはいたが、こうして土が見えない程に生い茂っている草地を見るのは初めてだった。
「なんだ、これ」
風任せに右往左往し、身を引いては寄せ合う草の上に、ちらほらと丸い小さな物体が乗っている。赤と黄色のまだら模様で、よくよく目を凝らすと、細く黒い足が見えた。
「虫」
ユカの町にいる虫といえば、黒々としたアリだけだ。こんなに色鮮やかな虫は見たことがなかった。
虫は、風になびく草から落ちないようにしがみついているようだった。
「なんか、可愛いな、こいつ」
ナギは背中を撫でてやろうと指を伸ばしたが、虫よりも指先の方が太く大きいことに気づき、このまま触れて驚かしては可哀相かなと思い、止めにした。
手を引っ込めてじっと眺めていると、馬から落ちないようにジャモの背中にしがみついていた自分を思い出した。
ナギはハッとした。
ジャモはどうした。辺りを見回すが、やはり煙のような塊があちこちに漂っていて、視界が悪い。遠くまで見渡すことができない。
「ジャモ。リッティ? べローン!」
大声で呼びかけながら立ち上がると、頭がズキっと痛んだ。
「てっ」
ナギは思わず頭を抱えた。屈み込んで、そのまま座り込みそうになってしまったが、このままここに居座っていても仕方が無いと思い、踏み止まった。
みんなはどこに行ったんだ。
ナギはガンガンと響く頭を押さえながら、ゆっくりと姿勢を正した。
ちゃんとヴィンテージ・セロを履いている。胸元の手触りから、金の封筒が入っていることも感じられた。
大丈夫、どこにも変わりはない。
旅に出たことも、紛れもない事実だ。
ナギは非現実感を少しずつ払拭するように、一つ一つを確認した。
「ゼフ! サキ」
ナギは今一度、大声で呼んだ。今度も頭がズキっと響いたが、さっきよりは少しマシなように感じられた。
みんなを探さなくては。しかし方向が掴めない。
どちらへ進めば良いか皆目見当も付かなかったが、ナギは煙の塊を掻き分けて進んでみることにした。
「ジャモー。リッティー」
ゆっくり、ゆっくりと煙を掻き分ける。ただこの煙からは、焚き火の煙のような臭さや濃密さは感じられなかった。
脆く、繊細で、手応えのない儚げなものだった。
「ベローン。ゼフー」
そうだ。ナギは思い出した。
煙というよりも、湯気。これは湯を沸かした時の湯気に似ていると思った。
しかし同時に疑問がよぎる。湯気にしては熱くないし、どこにも火は焚かれていない。
考えながら、ゆっくりと歩みを進めた時だった。ナギの右腕を、グッと掴むものがあった。
「わっ」
あまりの突然の出来事にナギは上擦った悲鳴を上げた。
手だ。振り返ると、そこにはサキが立っていた。
「え、サキ」
サキは掴んだその手にもう一度グッと力を込めると、厳しい目を向けて首を振った。
「え、何?」
サキはナギ越しの後ろへ視線を移す。
後ろを見ろということか?
ナギが振り返ると、煙――湯気の塊が、風に流され避けていった。
視界が段々と開けていく。
足元の先、あと数歩先の辺りで、草が途切れているのがわかった。
そこは、崖だった。
「崖。危なかった」
ナギは目を丸くしてサキへ振り返った。
「危なかった、ありがとう、危なかった」
ナギは泣き笑いのような顔で、サキの両手を掴んで感謝した。
「サキ、みんなは? ここはどこなんだい?」
ナギが問うと、いつも無表情なサキの顔が少しほころんだように見えた。
「サキ?」
笑ったの?
サキは再び、ナギの後ろへと視線を移した。
そこにみんながいるというのか? この先は崖だ。そんな訳はない。
「見てみろってこと?」
ナギは訝りつつも崖の方へ向き直った。
少し強い風が吹いた。湯気の塊が、ほぐれるように解けていく。
すーっと、視界が広がり、その奥行きを増した。
ナギは吸い寄せられるように、一歩、そしてもう一歩を踏み出した。
サキはもう腕を掴まなかった。
「うわっ。うわあ……」
ナギは崖の手前で足を止め、感嘆した。
「うわああああ」
ナギは、恐ろしい目に遭っている時とさして変わらないような、叫びに近い声をあげた。
ナギの眼下に、今までに見たことのない、想像したこともない、とてつもなく大きな広がりがあった。
「世界」
それしか、言葉が浮かばなかった。
「世界だ」
絶景を前に、もう一度呟く。
ナギは圧倒された。
それは、ユカの町を囲う赤茶けた岩山の巨大な威圧感とは違った。
それは、ユカの町を抜け、坂を登りきった際に見た地平線の虚無感とも違った。
瞬きもせず、ナギは叫んだ。
「世界だーっ」
ナギの叫びに呼応するように、一段と強さを増した風が吹きぬけた。
煙でも湯気でもない、漂っていたのは雲だったのだ。認識したばかりの雲を、風はあっという間に吹き飛ばしていった。
眼下には、まさしく世界が広がっていた。
地平が少し丸みを帯びて見える。それ程の高みにいるのだ。
ナギは色を見た。あらゆる色を目にした。
どこまでも続いて見える緑の大草原の中、あちらこちらに、色とりどりの草の群れが見えた。草は緑だけではなかった。赤い草、橙色の草、黄色い草、ピンク色の草、紫色の草。様々な色の草があるようだった。
雲間から陽の光が、色とりどりの大草原を優しく照らす。
色たちは陽に晒されると、喜びを表すように、溶けるのではないかと思われるほど淡く滲んだ。まるで母の胸に抱かれ、愛の言葉に安堵して眠る赤子のようだった。
地平は遠く霞み、黒なのか青なのか緑なのか灰なのか、ここからでは判別できなかった。
世界中の色が眼下に集い、世界の果ては、色を失っているように見えた。
ナギは震えていた。
恐怖なのか感動なのか分からなかった。
ただ、身体の震えが止まらなかった。
「すごい」
サキが隣に並んだ。
「サキ、すごいね」
サキは何も言わなかった。目尻が少し下がったような気がした。
「すごいや」
絶景に魅入られたまま立ち尽くしていると、後ろからゼフの声がした。
「ナギ。起きたか」
「ゼフ」
振り返ると、ゼフは肩に小鳥を乗せて楽しそうに微笑んでいた。
餌でも付けているのだろうか、指先を肩の上の小鳥に差し出すと、小鳥は素早い動作で何度も啄ばんだ。
「どうだ、調子は」
「うん」
頭を擦る。
「ちょっと頭が痛い。咳もちょっと、でも喉が渇いてるだけかな。大丈夫」
ナギは一つ咳払いすると胸を張った。
「ゼフ、ここは? 実は何が何だか、あんまり覚えてないんだ」
「だろうな」
ゼフは座り込んだ。
ナギもゼフの隣に座った。
「山道の洞穴は覚えてるな?」
「あ」
思い出した。山賊にからまれたんだ。
「そうだ、出ようとした時に、また別の山賊が現れて……」
ナギは必死に思い出そうと、目をキョロキョロさせる。
「そうだ。四人だと思ってたら、出かけてた一人が別にいた。結局五人いたんだな。その一人に悪口を聞かれちまったってオチだ」
ゼフは笑った。指先から何かを弾き飛ばすと、小鳥がそちらに向かって跳んだ。
どこから見ていたのか、何匹かの小鳥が青い羽をはためかせて飛んできては、同じ場所に群がった。
「そうだ。あの後、どうなったの」
「お前、出口に現れたその大男に、思いっきり殴られたんだよ。あの太い腕でな」
ゼフは殴りおろす仕草をしてみせた。
「そうだったのか」
頭痛の原因はそれか。ナギは頭をそっと撫でた。
「その後、どうやって終わった? どうやって切り抜けたの?」
「謝った」
「え」
「謝ったんだよ。ひたすら謝った」
「そんな」
「こっちが悪いんだぞ? 馬鹿とか言っちまうから」
「だけど」
ナギは腑に落ちなかった。ただ洞穴に入っただけじゃないか。あんなのは家じゃないのに。何であそこまで好き放題にされなきゃいけないんだ。
しかも、金まで盗られて。
「腑に落ちないって感じだな」
ゼフはまた小鳥に向かって何かを投げた。
「だってさ」
「ただ洞穴に入っただけなのに、何であんなにやられっ放しなんだって思うか? 金まで取られて」
「う」
「図星だな。言いたいこと言えよ」
「相手を傷つける悪い言葉はストレートに言うなって教えたのはゼフだよ。一々ややこしいな」
ナギは口を尖らせた。
「本当だな」
ゼフはクックッと肩を震わせた。
「でもまあ、思ったことを口にすると旅では痛い目に遭うってのは、本当だったみたいだね」
「分かってもらえたなら」
ゼフは立ち上がった。
「それでいい」
満足そうなゼフに、ナギは見上げて尋ねた。
「ゼフ、ここは?」
「ノバ高地。あの山道の上だ。あの洞穴からもさほど離れてない」
「え、そうなの」
ナギは辺りを見渡した。
「ゴール直前のトラブルだったわけだ。惜しかったな」
ゼフは口角を上げた。
「ま、旅にトラブルはつきもんだ」
ゼフは大きく伸びをした。
サキが眼下を見下ろしながら、崖沿いをゆっくりと歩いている。
「ねえ、他のみんなは?」
「下りのルートを探してる。俺の知ってるルートは崩落してしまってたんだ」
「そう。これから、どこに?」
ゼフは顎をしゃくった。
「あっちだ。あの大草原の向こう。見ただろう?」
凄いだろう? という自慢げな響きがあった。ゼフはこれを見せたかったのかもしれない。
「見た。何て言って良いか、声にならなかったよ」
「色々叫んでたじゃねえか」
「まあ、ね」
二人は笑った。
「そう言えばさ、すごいんだよ、色んな色の草があるんだ」
「ありゃ草じゃねえよ、花だ」
「花」
あれが花か。花は父の本でしか見たことがなかった。ある日、ナギが本を読んでいると、母のマチャが横から入ってきて、こんな花を家に飾ってみたいもんだねと、うっとりしながら言った。
「あれが花か」
もっと近くで見てみたい思いに駆られた。
その思いを察したようにゼフは言った。
「あっちへ行くから、嫌でもたっぷりお目にかかれるぜ」
「そう。楽しみだ」
ナギは伸ばした足を引っ込め、あぐらをかいた。そしてヴィンテージ・セロを優しく撫で回す。
「こっからじゃ見えないが、あの地平の向こうに町がある。タダンダと同じくらいのまあ大きめな町だ。あんなに治安は悪くないがな。しばらくそこを拠点にして活動する」
「しばらく? すぐに行かないの?」
「長旅のコツはゆっくり休むことだ。立ち止まって休憩するとか、テントで寝るとかってレベルじゃない。結局俺たちは人間なんだ、人間の築いた文化から完全に離れて生きるのは厳しい。だから町を見つけたら、町で休んで、町で栄養のあるもんを食って、そして町で必要に応じた人間関係を築く。それが大事なんだ」
「ふーん」
「ピンとこねえか?」
「正直、いまいち」
自由を求めて町を飛び出したナギにとって、旅人のゼフが町を必要としていることが意外だった。説明を受けても、まだ旅を始めたばかりの自分には実感の伴う話ではなかった。
「簡単に言うと、ベロンの持ってる木の実だけじゃ、血肉になんねえだろって話だ。だってこれだぜ?」
ゼフはそう言うと、小鳥の群れの方へ放り投げた。どうやら木の実を砕いたものを鳥の餌にしていたらしい。
ナギは貧しい生い立ちということもあり小食な方だったが、小鳥と同じで満足するわけにはいかなかった。
「そう言われると、少し分かるかな」
「だろ」
ナギは腹を撫でた。
「何か食べたいな」
「そうだな、何も食ってねえもんな。連中が戻ったら出発しよう」」
三人はどこから戻ってくるのだろうか。眼下の景色にばかり気をとられてしまうが、このノバ高地の、青々とした草が生い茂る高原は遥か左右へと延びている。
今のところ左右どちらからも人が歩み寄ってくる気配はなかった。
ナギは腹は減っているが、苛立ちは感じなかった。こんなに気持ちの良い場所は初めてだ。ここでならいつまでだって人を待ってられる。そう思えた。
ナギは寝そべって晴天を仰いだ。
(つづく)
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