コロコロvs抜け毛

「自分自身との終わりなき闘い」

名もなきファンタジー小説(8)

★アマチュアファンタジー小説家応援企画★
 むかし人生で初めて書いたファンタジー小説を公開します! プロットって何?って知識レベルで思いつくまま書きなぐった黒歴史。恥さらし上等、アップするにあたり修正なし。


 名もなきファンタジー小説(8)

 

「ナギ」
 ゼフの声の調子が変わった気がした。
「なんだい」
「さっきの、山賊の件だ。もしかしたら、少しお前を幻滅させたかな」
 話が読めず、ナギは返事しなかった。
「幻滅ついでに、話しておきたいことがあるんだ」
 肯定と捉えられてしまったらしいが、どちらでも良いと思った。ナギは先を待った。
「隠してたわけじゃないんだが、言いそびれてしまっててな」
「なんだい」
 ゼフはナギの少し前で、眼下の情景の方へ向かうように話し始めた。
「お前の町の話だが、実は、知っている部分があったんだ。関与したと言ってもいいかもしれん」
「え、どういうこと」
 ナギは上体を起こした。
 ゼフは振り返らない。
「俺は昔、二十年前になるな、お前の故郷、ユカの町へ行ったことがあるんだ」
「えっ」
「旅を始めて、まだ何年もしない頃のことだ。たまたま見つけたんだ。坂を越えて、一番大きな家を訪ねてみたら、初老の男が迎え入れてくれた。招かれた後に分かったんだが、そこは町長の家だった」
「町長って」
「そう。まあ、お前からすると先代かな? ベルベルルの親父さんだ。俺は親父さん、つまり町長に世話してもらったんだ。そしてそこには、ベルベルルもいた」
「ベルベルルも」
「ああ。彼は、二十二歳だったと思う。俺は、二十七だった」
 ゼフは振り返った。
「お前の話と、符合するだろう?」
 確かに、合致する。ナギは驚きを隠せなかった。
「お前の話を聞いて、驚いたよ。まさか彼が、旅に出たなんて」
 ゼフは足元の草を無造作に引き千切ると、崖の方へと放り投げた。
「……ベルベルルは、旅人に憧れて、旅に出たんだって話だ」
 ナギが言うと、ゼフは前を向いたまま何度も頷いた。
「まさか、足が不自由になるなんてな」
 ナギの目に、ゼフの背中が少し小さく写った。
 でも、それは。
「それはあんたのせいじゃない」
「だがきっかけだ」
 ゼフは即答した。
 サキは、ゼフと同じように木の実を砕いてやってるのだろうか、しゃがみこんで小鳥たちと戯れているようだった。
「お前が十七年間、あの町で閉じ込められて苦しんでいたきっかけを作ったのは、俺だったというわけだ」
 ゼフは自嘲気味に言った。
「幻滅したか?」
 ナギは一瞬置いて、否定した。
「いや」
 ゼフの背中へ返す。
「全然」
「そうか」
「うん」
 ゼフは振り返ってナギを見下ろした。
「ベルベルルは、どうかな」
 ナギは首を傾げた。
「俺を、恨んでいるかな」
 ゼフはナギを見つめた。
 ナギは何故だか、その目を見ることができず、視線を外した。
「さあ、ね」
 少しの沈黙の後、ゼフが息を吐くように小さく笑った。
 あまり満足しているようには見えなかった。どう答えてやれば良かったのだろう。ナギは少しうろたえた。
「こういう場面だと、正直に答えるのが良いことなの? それとも悪いの?」
 ゼフは首を傾げた。
「分からん」
 ゼフのマントが風に靡く。ボロボロに痛んだ生地が、旅の長さや壮絶さを物語っているようだった。
 マントを見るともなしに見ていると、ナギにも聞きたいことがあったことを思い出した。聞きそびれていたこと。ナギは思い切って訪ねた。
「ゼフ、あのさ」
 ゼフは視線で返事する。
「ゼフは何で旅に出たの? 何で旅を続けてるの?」
「ん」
「何で?」
 視線が交錯する。
 ゼフが頬を掻く。
「じっとしてられないんだ」
「何それ、せっかちってこと?」
 小さく首を振る。
「いや。恐ろしいんだ」
「怖いの? 何が?」
 ゼフが息を呑むのが分かった。
「死ぬことが」
「死ぬのが?」
「そう」
 ナギは首をかしげる。
「俺は死ぬのが怖いんだ、ナギ」
 ゼフはそう言うと、全身の力が抜けたようにへたり込んだ。
「死ぬことが、怖いんだよ」
 ゼフが目の前でうな垂れている。
 様子が変だと感じた。話を急く必要はないと判断したナギは、これ以上こちらから問うような真似はせず、自然とゼフの口が開くのを待つことにした。
 やがてゼフは、ぽつりぽつりと話し始めた。
「俺の故郷は、ここからすると、そうだな、東の果てだ。東の小さな村で、生まれ育った」
「ん」
「二十五の時だ。両親が揃って死んだ。六十半ばだった。方々へ旅して、後々分かったことだが、俺の村は貧しかったこともあって、どうやら寿命が短いらしい」
 ユカの町も貧しいが、確かに六十半ばの老衰は少し早いように思われた。
 ベルベルルの父、先代町長はたしか八十を超えて健在だが、これは町長の生活水準が町民のそれと異なっているからなのかは判断できなかった。
 ゼフの告白が続く。
「両親を葬って、埋めた土の前に座り込んで、昼夜問わず過ごした。ある時だ。夜空に浮かぶ星を眺めていたら、まるでやり方を忘れてしまったかのように呼吸が止まっていることに気づいた。気づいた途端、心臓がどくんと強く波打つと、血の気が引いて、全身が粟だった。七色に輝く美しい星屑が、その日その瞬間、恐怖の対象となった」
「星が」
「ああ。そのシチュエーションが、星を死の象徴としてしまっただけなのかもしれない。それは未だに分からない。今でも、夜空に浮かぶ星を、美しいと感じて穏やかな気分に浸れる場合もあれば……」
「恐ろしく感じることもある?」
「飲み込みが早いな。そのとおりだ」
 困っているんだ。そう言いたげにゼフは頷いた。少し目が血走っているようだった。
「俺は旅に出ることにした」
「どうして」
 そこが本題だ。
「どうせ死ぬんだ。だったら、人生を満喫しよう、世界を味わい尽くしてやろう、そう思ったんだ」
「なるほど」
 合点がいった。
「世界を味わい尽くすまでは死ねない。だが世界は広くてとても味わい尽くせない。何年も何年もかけて、一度訪れた場所を再訪するだろう。そこには何があると思う? ナギ。そこには、以前と同じ何かが残っていて、俺に安心を与えてくれる。一方で、以前とは違う何かが生じていて、俺に刺激を与えてくれるんだ。たまらないだろう? ナギ。旅はたまらない。世界を味わい尽くすことなんてできない。だから俺は、いつまで経っても死ねないんだよ」
 ゼフは鼻息を荒くした。浮かべたその笑顔は、旅が楽しくて仕方がないといった興奮によるもののようでもあったが、どこか、取り憑かれたような狂気さをも感じさせた。
 旅人だ。良くも悪くも、旅人の顔、旅人の言葉だ。ナギはそう感じた。
「だから俺は旅に出たんだよ、ナギ。だから俺は、旅を続けるんだよ」
 ゼフは胸に手を当て、荒くなった息を落ち着けようとしているようだった。
「分かってくれたか、ナギ?」
「ん」
 ナギは微笑んだつもりだったが、口角が強張り、ぎこちなく震えるのがわかった。
 暑くはないはずだが、じっとりと脂汗をかいていることも分かった。
 ナギはすっかり気圧されていた。
 死ぬことが怖い。それは思いも寄らぬ回答だった。
 今の自分が、そしてかつてはベルベルルがそうであったように、その姿に感化され、その立ち居振る舞いに刺激され、その背中を追いたいと思えた、羨望の対象。憧れの男。
 その男が言う。死ぬのが怖いと。
 その男が本音を語る。旅をするのは、死ぬことが怖いからだと。
 目の前にへたり込む、父親とほぼ同じ年嵩の男が、何とも小さく見えた。
 どこかで美化していたのだろうか。目の前の男が、とても生々しい、一人の、ただの男に見えた。
 小鳥たちが一斉に飛び立った。
 サキは立ち上がると、高原の彼方を見やった。何かに気づいたような様子が伺える。
「サキ、どうしたんだろう」
 ゼフもサキを見る。
「戻ってきたかな」
 ゼフは幾分、冷静になっているようだった。
「あの、サキってさ、彼女って、一体どういう人?」
 ナギは思い切って尋ねた。
 サキの問題に触れて良いのだろうかという不安、そして今の状態のゼフに何かを問い質しても良いのだろうかという不安があったが、もうここで最後の疑問を、もやもやしたものを全て取り払ってしまいたいという思いが勝った。
 ゼフが答える。
「正直な」
「うん?」
「あいつのことは、俺もよく分かってないんだ」
「そうなの?」
 それは以外だった。
「この世には、不思議な人間がいてな。強い思いを、現実の物にしてしまうらしいんだ」
 ナギは、それが夢や理想を叶えるということとは違う意味であると悟った。
「意図的ではないし、コントロールできるものでもないらしい。どちらかというと結果的、無自覚的なものだ」
 信じられるか? ゼフはナギを見据えた。
「サキとは、とある町で出会った。町の一角、焼け跡みたいになってる場所で、あいつは一人で佇んでたんだ」
「焼け跡?」
 ゼフは頷く。
「あいつの家だったそうだ」
 家が、焼けた? ナギは息を呑んだ。
「あいつはあのとおり、しゃべりやしねえから、細かいことはさっぱりなんだが」
 ゼフは髭を擦る。
「町の者曰く、話はこうだ。あいつの家は、食事屋だったそうだ。ある時、料理の最中に父親が火傷を負ったそうだ。それ以来、父親は火を恐れるようになった」
 サキは、風に髪をなびかせたまま、三人を待っている。
 向こうから、ジャモたちがやってくるのが見えた。リッティとベロンも一緒のようだ。
「食事屋にとって、火は命だ。使いこなさなきゃ仕事にならない。だが、火が怖くて怖くて、どうしてもとても昔のように扱うことができなかった」
 つらい話だ。ナギは顔をしかめた。
「結局、食事屋はつぶれてしまったそうだ。それ以降、不思議な出来事が相次いだらしい」
「何が起きたの」
「小火騒ぎだ」
「え、それはありえないんじゃ――」
「そうだ」
 ゼフは真剣な眼差しで頷いた。
「火傷をきっかけに、火を恐れ、火を扱えなくなって店を畳んだというのに、その家の中からの小火騒ぎが相次ぐようになった」
「家の中なの? 本当に? 誰かの悪戯とかは考えられないの?」
 ナギは納得がいかなかった。
 ゼフはため息をついた。
「わからん。こればかりは。あくまでこれは、町の人間の話によると、だ。あいつはしゃべらんしな」
 ジャモたちが近づいてきている。ベロンが手を振るのが見えた。サキに対して振っているのか、こちらに振っているのか分からなかったので、ナギは手を振らなかった。
「ある日、小火で済まない大火事が発生した。誰も止めることはできなかった。家は焼けてなくなり、あいつだけが生き残った。他に親類はなし。元々食事屋だけあって顔は広く、近所の家を転々と……まあそれもあいつの意思じゃなさそうだがな、転々と移り住む日々を送っていたらしい。そんな日々の中で、あいつは段々とああなっていったらしい」
「ああって、感情と、言葉のこと?」
 ゼフは神妙な面持ちでゆっくりと瞬きした。
 ナギは苦笑いを浮かべた。
「すごいな、でも、何て言うか、正直」
「信じられないか? それはそれで良いよ」
 ゼフは尻を叩いて立ち上がると、両手を口に添えて叫んだ。
「おおうい! ナギが起きたぞ!」
 ゼフはジャモたちに大きく両手を振った。
 ジャモたちが手を振り返すのを確認すると、そちらへ向いたまま呟いた。
「信じる、信じないはどちらでも構わん。ただ、あいつは生きる意味を失っているように見えた。そりゃそうだろう? 両親を惨い死に方で失ったんだ」
 ナギは座ったままゼフを見上げた。
「死を恐れる男に、生きる意味を見失った女。なかなか良いだろう?」
 ゼフはにやっと笑った。
「一緒に旅するかと声をかけたら、黙って頷いたんだ。居候程度なら引き受けてくれる家は幾つかあったみたいだが、そんなのは居場所じゃねえからな」
 当然の成り行きと言わんばかりだった。
 ナギー。
 大丈夫かー、ナギー。
 ジャモの声、ベロンの声がする。
 ナギも立ち上がった。
「おおうい! おおうい!」
 久しぶりに会う気がした。ジャモの顔、ベロンの顔、リッティの顔。変わらない面々の顔が、とても愛おしく感じられた。無事に再会できて良かった。
 ナギは大きく手を振った。
 三人の後ろから、サキがゆっくりと付いてくる。
 やはり、サキの表情は出会った頃よりも、少し柔らかくなっているような気がした。
 この素晴らしい情景のおかげだろうか。ナギの頭上を小鳥たちが飛び交う。
「どうだった?」
 ゼフが問う。
「行けるぜ。ばっちり」
 ジャモが親指を立てた。
「おいナギ、お前本当に余計なこと言ってくれたよな」
 リッティが近寄りながら毒づく。
「起きたら絶対にまず文句言ってやろうと思ってたんだ」
 そうは言うものの、リッティの表情からは、もう過ぎた出来事だとすっかり水に流してしまっていることが見て取れた。
「ごめんよ」
 ナギは申し訳なさそうに笑った。
「おい、心配したんだぞ」
 ベロンがナギの腹を叩いた。
「元気そうで良かった。薬が効いたかな?」
「薬?」
 ナギは眉根を寄せた。
「え、言ってないの? ゼフ」
 ベロンがゼフを非難する。
「すまん、忘れてた。そうなんだナギ。ベロンがな、持ってた木の実と、この辺りの草を調合して、薬草を煎じてくれたんだ」
「そうなの?」
「そのおかげで早く元気になったのかもしれんな」
 ゼフが言う。
「でも、調合って言っても……」
 ナギは苦笑して、辺りを見渡した。
「あ、ナギ、馬鹿にしてるな? その辺の草を何でも混ぜちゃえば良いと思ってるんだろう」
「違うのか?」
 ジャモが茶化す。
「違うよ、全っ然違う。殴られた頭の方に塗ってあげたヤツと、寝苦しそうな様子からちょっと高山病の疑いもあると思って飲ませてあげたヤツと、配合から何から全然違うんだからね!」
 ベロンが怒鳴った。
「わっはは。わかった、わかった」
 珍しくベロンが怒るので、ジャモが宥めに入る。
「ふん、どいつもこいつも」
 リッティが腰に手を当て、鼻で笑う。
 ゼフは仲間たちの顔を、満足そうに見る。
「よし、じゃあ行くか」
 久しぶりに、元気な姿で六人が揃った。旅の再開だ。ゼフが威勢よく仕切る。
「まず見つけてくれたルートよりノバ高地から下山。そして大草原を越えてチチャの町へ入り一時滞在。その先はブラシュチコフの森だ」
 おおおお! 男たちが湧く。
 ゼフが両腕を広げ、士気を高める。
「そう、いよいよだぞ、森を抜けると、そこはもう海だ!」
 おおおおおお!
 男たちの咆哮がこだまする。
「ゼフ、海って」
 本で見たことがある。あの?
「海に向かうのかい?」
「そうだ。世界を股にかける旅の、まず最初のターニングポイントだと思うといい。旅はそこから始まると言っても過言ではない。それ程に、海は重要で、雄大で、絶対の存在なんだ」
 ゼフの説明に、ナギは身震いするのを感じた。それは眼下の世界を初めて見たときと同じ感覚だった。
「ナギ、震えてるのか?」
 ゼフが言う。
「うん、何だかもう、わくわくして」
 傍目にも、ナギの膝がガクガクしているのが分かる程だった。
「さっき、この世界を見下ろした時も、そうだったんだ」
「ははは、恐らく武者震いだな。それは怯えてるのとは違う、良い震えだ」
 武者震い。ナギは両の手の平を広げ、震えを感じると、思いを秘めるようにグッと強く握り締めた。
「そうそう、見たかよナギ、この景色」
 ベロンが崖の向こうへ目を細める。
「とんでもないよな」
 リッティも改まって眼下を望む。
 ナギは呟いた。
「とんでもないよ、本当。勝てっこないね」
「だははははは。何だよ勝てないって」
 ジャモが高笑いする。
 ナギは広がる情景を前に、目頭が熱くなるのを感じた。
 柔らかな陽の光が、風任せに流れゆく雲間に付き添うように移ろう。大草原は祝福を受けると、豊かに表情を変えた。
 よかった。旅に出て本当によかった。
 一度きりの人生だ。何をしたって良いんだ。好きなことをして何が悪い。誰が僕の自由を奪えるというんだ。
 僕は自由だ。もう邪魔はさせないぞ。好きなことをして生きてやる。
「僕は自由だ」
「ナギ?」
 ナギは崖へ歩み寄った。
「お、おい、ナギ」
「僕は自由だ!」
 ナギは崖の手前で両膝を付き、大きく両腕を広げて天を仰いだ。
「僕は自由だーっ」
 ナギは顔を皺くちゃにして叫んだ。
「僕は自由だーっ」
 腹の底から叫んだ。これ以上出ないという程に声を振り絞った。
「僕は自由だーっ」
 内臓が、気管が、喉が裏返って飛び出すのではないかという程に、ナギは大声を張り上げた。
「僕は自由だーっ」
 ナギは何度も叫んだ。
 何度も何度も、その声が枯れて出なくなるまで、ナギは叫び続けた。

 

 


 

 二ヶ月が過ぎた。
 大草原は思いのほか広大だった。柔らかな草原は足腰に優しかったし、色とりどりの景観は見る者の目を楽しませてくれ、花々から甘い香りが漂っては心を落ち着けてくれた。
 しかし運の悪いことに、結局最後まで癒しの雨に出会うことはなかった。
 大草原の陽射しは強すぎるというわけではなかったが、日除けのない中それを浴びながら延々と歩き続けていると、さすがに体力の消耗が激しかった。
 この大草原を何度か越えたことがあるというゼフだったが、仲間と連れ立って立ち寄るのは初めてのことらしく、ペースが掴めずに苦労しているようだった。
 誰よりも大きく重い荷物を背負っているジャモが、いいかげん音を上げた。
「ナギの親父だったんだからよ、やっぱり馬を頼めば良かったんだよ。家族のよしみでさ? それがダメでも、ナギは金もってんだからさ」
「嫌だ。それだけは」
 ナギも相当に疲れていたが、それだけは肯定する気になれなかった。少なくともあの時は、そんな割り切った対応ができるわけがなかった。
「愚痴を言っても仕方がないぞ」
 ゼフが叱咤した。
 タダンダで準備した水分は底を尽きかけていた。
 途中、またしてもゼフが超能力を披露して見せた。
 ゼフは前方に大きな一枚岩を見つけると、弱々しく笑って言った。
「ナギ、良いものを見せてやろうか」
「例の、ちょうのうりょく?」
「あの岩のところだ。今の俺たちにとって、この上ない希望が詰まっているはずだ」
 この上ない希望。
 それは大きな岩だった。背丈はそれ程でもなかったが、横幅が広く、六人がかりで輪を作ってようやく腕が回りそうな一枚岩だった。
 キエーボの木の時と同様、ベロンにナイフを借りると、掘り出す作業をナギが担当した。
 出てきたそれは、小さな黒い酒瓶だった。
「酒? この量じゃ何の足しにもならないよ」
 ベロンが愚痴ると、リッティも続いた。
「そもそも今の状態で酒なんか飲んだら、余計に渇きを助長してしまう」
 皆が非難する。ナギはゼフを見た。
「いいから、中を開けてみろよ」
 促されるまま蓋を開けてみたが、軽く傾けてみても何かがこぼれ出てくる様子がなかった。思い切って逆さにしてみると、そこから出てきたものは酒はおろか液体ではなく、小さく丸められた紙だった。
 それを広げてみようとする中、ゼフは待ちきれないようにクックッと笑った。
「手紙? 何か書いてあるよ」
 ナギが呟くと、三人の男たちが寄ってきて顔を近づけた。皆で覗き見る。
「(もうすぐチチャの町。がんばれ)」
 ナギが声に出して読むと、ゼフは高らかに笑った。
 なんだよこれと、男たちから非難の声が続く。ゼフはお構いなしに、満足げに笑っていた。
「これって、どういうこと?」
 きょとんとしたまま問いかけるナギに、リッティが言った。
「お前、まだ分かってなかったの?」
 リッティはゼフの超能力について解説した。
 そのカラクリは何てことのないものだった。一度そこを訪れた時に埋めていっただけのことだった。
 いつかまたそこを訪れるかもしれない未来の自分を楽しませるためのお遊びだった。たまたま今回は仲間と連れ立っての旅だから、悪戯に利用したという訳だ。
「遊び心が必要なんだよ。旅にはさ」
 得意気に言うリーダーに対し、三人の男たちは白けきった様子だった。
 サキは素知らぬ様子で、そよ風に身を任せて花の香りを楽しむように深呼吸を繰り返していた。
 ナギは思わず笑いがこみ上げてきた。
「でも、確かに希望だね。今の僕たちにとって、この上ない希望」
 何てくだらなく、そして楽しいんだろう。
「正直、参ってたんだ。でも、もうすぐなんだね?」
 ナギが問い、ゼフが頷く。
「そういうことだ。頑張れるな?」
 そう言うとゼフは、また先陣を切って歩き出した。
 皆やれやれといった風に後に続いた。
「サキ、行くよ?」
 ナギが呼ぶと、サキは髪をなびかせて振り返った。
 一行は目前に迫ったチチャの町を目指して歩き出した。

 

 思いのほか体力を消耗していた一行は、ゼフの当初想定していたよりも長い間、チチャの町に滞在することになった。
 ナギの金のおかげで、良い宿に泊まることができた。娯楽目的ではないのでわざわざ最上級にする必要はなかったが、上級ランクの宿に滞在することにした。一行は満足のいくサービスの中で食事と休息をたっぷりと取って疲れを癒し、気力、体力ともに充実したベストな状態で旅路を再開した。
 チチャの町を出ると、ブラシュチコフの森に入った。
「これを抜けるとな、いよいよ、海だ」
 ゼフが目を光らせる。
 鬱蒼と生い茂る森の中に立ち入ると、ここから突然世界が変わったかのように空気が澄んで感じられた。
 陽の光が直接的に射してくることはなく、木漏れ日が所々に落ちている程度だった。
 ひんやりと水分を含んだ空気が、日差しを浴び続けてきた荒れた肌をしっとりと湿らせる。
「優しいね、これは。旅の再開にはちょうどいい環境だ」
 リッティはホッとしているようだった。ベロンも目を輝かせている。
「食材の宝庫だよ、ここは。木の実も果物も、山菜も虫も取れる。きのこが一番期待できそうだ」
「おい、何か音がしねえか?」
 ジャモは足元の枯れ木をバキバキと踏み鳴らしながら、音のするという方へと道を逸れていく。
 気をつけてよとベロンが言うより早く、ジャモが振り返って大声をあげた。
「おおい、川があるぜ」
「川」
 あまり興味なさそうに返事するリッティと対照的に、ベロンは喜びを露わにした。
「本当? やった! 川魚まで期待できるぞ」
 ベロンは喜び勇んでジャモの後に続いた。
 ナギは尋ねた。
「ゼフ。かわって?」
「水の流れだ。山から、傾斜に沿ってこぼれてきて、海へ向かっているんだ。見に行ってみるか?」
「うん」
 ゼフに連れられるようにナギ、リッティ、サキも寄り道した。
「何か、サーって音がする」
「だな」
 ナギはわくわくしていた。
 木々の合間を分け入って進むと、すぐにジャモとベロンの姿が見えた。
「わっ」
 ナギは思わず声を上げた。
「すごい水だ!」
 ナギの言葉どおり、これまでの旅路で見たこともない程の水量が、真っ白な飛沫を上げて右から左へ流れていた。
「これが川?」
「川」
 ナギは目を爛々とさせた。それはユカの町の噴水なんか比べ物にならない程の水量だった。しかも噴水のように一箇所に留められた水が循環しているわけではなく、止め処ない量の水が右からやってきては左へと流れて行っている。
「これ、こんな勢いで流れて行って、なくなっちゃったりしないの?」
 ナギは疑問に思った。
「そりゃ、減ったり増えたりするんじゃねえか? 山次第、雨次第だ」
「ふーん」
 よく分かったような、分からないような感じがしたが、とにかく目の前の水に驚かんばかりだった。
 川幅はさほど広くなく、ジャモが川の真ん中まで立ち入った。
「あまり深くねえな。勢いも見た目ほどじゃねえ」
 腰ほどまでに水に浸かったジャモが大声で報告する。
「魚は?」
 ベロンが大声で尋ねると、ジャモは腰を折って水の中を凝視し始めた。
「ジャモ、大きめの岩のあたりに小魚が集まってないか?」
 ゼフが遠巻きにアドバイスすると、ジャモは確認してみると片手を挙げた。
「そんなもんなの?」
 ナギが尋ねる。
「そう、隠れ蓑にしてんのか、その辺にくっついたモンを餌にして食ってんのか、岩のあたりにゃいっぱいいるんだ」
 ゼフが経験談を語る。
「ふうん」
 背の低いベロンは川に入るのに及び腰で、川べりでジャモの様子を見守っている。
 ナギはベロンの隣まで行くと、靴を脱ぎ始めた。
「僕も、行っていいかな」
 脱いだ片方をベロンの傍に置く。
 リッティがゼフに疑問の目を向ける。
「ゼフ、良いの?」
 ナギは、もう片方を脱ぎ終えると、勢いよく一足、川に浸してみた。
「わっ、冷たっ」
「ナギっ」
 ナギがそのあまりの冷たさに驚きの声を上げた瞬間、すぐ後ろまで駆け寄ってきていたゼフがその腕を掴んだ。
「ナギ、大丈夫か」
「え、ああ、大丈夫。くーっ冷たい」
 ナギは身体を強張らせ、浸した足を引っ込めた。
「ナギ、ベストを」
 ゼフが手を差し伸べる。
「ん?」
「ベストを脱いだ方がいい。紙は水に弱い。ここで転んだりしようものなら、金があっという間に破れて流されてしまうぞ」
 ゼフの目は真剣だった。
「……そうか、そうだね」
 ナギが微笑んでベストを脱ごうとすると、後ろでガンッという音がした。
 音の方を見やると、川の中央でジャモが大きな石を岩にぶつけたところのようだった。
「へっへっへ」
 ジャモは邪悪な笑顔を浮かべると、水面から川魚を二尾掴み上げてみせた。
「やったーっ」
 ベロンが飛び跳ねる。
「収穫あり、だね」
 リッティが腕組する。
 ジャモが川から出ようとこちらへ向かってきた。
「ま、勝手に入っておいて何だが、だからどうって訳でもないな、この川は」
「もう終わり? 二尾じゃちょっと足りないんだけどなあ」
 ベロンが口を尖らせたところで、ゼフが仕切り直した。
「よし、道草はもういいだろう。目的は森を抜けて海へ出ることなんだ」
 ゼフはそう言うとマントを翻した。ちぇっと舌打ちしながらベロンが続く。後ろから様子を見ていたリッティとサキは山道へと向き直った。
 ナギは川とゼフの背中を見比べた。このままさっさと立ち去るのは少し名残惜しい気がした。
 しかしこの川の行く先には海があるということだし、自分たちの次なる目的地も海なのだ。
「ま、いいか」
 きっと、もっとすごいものが見れるはずだ。
 しゃがみ込んで靴紐を結んでいるナギの傍を、靴を履いたまま川に入っていたジャモが、豪快に履き口からゴポゴポと水をこぼしながら横切っていった。
「お前、いちいち何やってんだ」
 すれ違った二つの足元は、冒険家と水遊びする子どものようだった。
 ナギは顔を赤くして、黙って紐を結んだ。

(つづく)

 

 

 


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 ――少年ファンタジー小説「あべこべのセロ」。悲しみを帯びたクラシカルなこの物語は、大人にこそ読んでもらいたい。

あべこべのセロ

  • 作者: 花城 冬
  • 発売日: 2022/9/24
  • メディア: Kindle版
 

 

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