コロコロvs抜け毛

「自分自身との終わりなき闘い」

名もなきファンタジー小説(11)

★アマチュアファンタジー小説家応援企画★
 むかし人生で初めて書いたファンタジー小説を公開します! プロットって何?って知識レベルで思いつくまま書きなぐった黒歴史。恥さらし上等、アップするにあたり修正なし。


 名もなきファンタジー小説(11)

 

 ナギはようやくタダンダまで戻ってきた。
 ジャモが脅しのような真似で馬を借り入れたことで偶然知った、父の仕事。
 折角だからと、その父の仕事場へ顔を出してみたものの、バトンという雇用主に尋ねたところ、父は帰ったところだということだった。
 それならば、もうタダンダに用はない。自分も家を目指そう。
 茶屋街を歩くと、いいにおいが鼻をついた。
 ここしばらく、山菜や果物、木の実などしか食べていない。においに釣られ、パンが食べたくて仕方がなかったが、金を盗まれてしまった以上どうしようもない。手に入れるには盗むしかないがナギにはそんなつもりも、仮に実行したとしても、とても逃げ切る元気もなかった。
 ナギは飲食店の前で足を止め、店先に陳列されたパンへ虚ろな目を向け、物欲しげに眺めた。
 そんな様子を、店内のとある集団がニヤニヤしながら見ていることに気づいた。
 ピルロの盗賊団だ。
 一人の男が、からかいに行こうぜと言いたげに、仲間に顎をしゃくって見せるのが見えた。面倒くさいことになったと、ナギは心で毒づいた。だが、合図をきっかけに立ち上がったのは一人だけだった。ピルロだ。
 ピルロは他のメンバーを手で制すと、一人で店先へと出てきた。
 相変わらず安っぽい盗みを働いているのだろう、濃紺のぺらぺらなマントを得意気に翻すと、ナギへ話しかけてきた。
「よう、何をしてるんだ」
 ナギは精一杯の空元気で、強気に出た。
「答えるつもりはない。お前と関わる気がないからだ」
「へっ」
 ピルロは目をむいて笑った。
「腹が減ってんだろ? 卑しい目でパンを見やがって」
 やはり一部始終見られていたようだ。ナギは恥ずかしさと怒りを覚えた。だから何だというんだ。関係ないじゃないか。
「お前さ」
 ピルロが問う。
「その様子じゃ、仲間と別れたんだろう? どうすんだ、これから。町には帰れないってこと、分かってんだろう?」
 くたびれた様子から、独り身になったことを見抜かれたらしい。そして同胞だけに、やはり論点は、町への帰還についてのこととなる。
 ピルロはニヤニヤしながら答えを待った。
 ナギは言った。
「町へ帰る」
「何だと」
 まさかの回答に、ピルロの笑顔が引きつった。
「どうやって帰るっていうんだ」
「歩くのさ」
「そうじゃねえよ、受け入れられると思ってんのか?」
 入りの禁のことだ。
「行ってみなくちゃわからない」
「何だと」
 ピルロはナギを睨み付けた。
「戻れるって言うのか」
「戻りたいのか」
 今度はナギが、ピルロをからかうような調子で言った。
 ピルロは目をそらした。
「馬鹿言え。俺はこの通り、ここでこうして生きている」
 沈黙が流れた。
「僕はもう行く。じゃあな」
 ナギが立ち去ろうとすると、待てよ、と肩を掴まれた。
「何だ、残念ながら金はないぞ。靴ももうぼろぼろだ。勘弁してくれ」
「そうじゃねえ」
 ピルロは金のことじゃないと否定した。しかしナギの肩を強く掴んだまま、何も言わずにいる。
 ナギは尋ねた。
「いっしょに行くか?」
「あん?」
 ナギの申し出に、ピルロは困惑した。ナギは説明した。
「謝るつもりなんだ。町を出て悪かったと。勝手なことをして迷惑をかけたと」
「何言ってやがる。馬鹿じゃないのか」
 ピルロは笑った。
 だがナギは真剣だった。
「そう思ったことはないのか?」
 ピルロは眉をピクリと上げた。
「僕はそうするつもりなんだ。だから帰ってきた。いっしょに行くなら、行こう」
 ナギはピルロを真っ直ぐに見つめた。
 ピルロは、睨むようにナギを見返した。
 埒が明かない。ナギは一呼吸置いた。
「行かないというのなら、その手を、離してくれないか」
 二人の会話が聞こえているのか、いないのか、店内のコソ泥仲間たちから、からかうような口笛や冷やかしが飛んだ。
 しばらくして、ナギは掴まれた手の力が抜けていくのを感じた。ピルロはその手を離した。
「勝手に行け」
 ピルロの答えを聞いて、ナギはため息をついた。
「ピルロ、一つ言っておく」
「あん?」
「パウムはお前を恨んでいたはずだ」
 突然の展開、ピルロの表情が一変した。
「何だと」
 触れられたくない話題のようだった。だがナギは構わなかった。
「あんな生活が嫌なのは、誰だって同じだ。だがお前は自分のことだけを考えて、パウムに脱出の協力をさせるだけさせて、自分だけ町を抜け出したんだ」
 ピルロは黙って、耳を傾けている。
「若者が町を出ても、無事に、幸せにやっていける。それを証明しに、外から堂々と話し合いに戻ってくると言い残したくせに、お前は戻ってこなかった。パウムは最初の内は、お前を信じて待ってたんだ。だけどお前は結局、戻ってこなかった」
 ピルロの眉間に、みるみる深い皺が寄る。
「お前はパウムを裏切ったんだ」
 裏切りという言葉がピルロの琴線に触れた。「お前が言うんじゃねえ」
 ピルロは怒りの形相でナギを殴りつけた。疲れと空腹でくたびれていたナギは、あっけなく殴り飛ばされた。
 地面に伏したナギに向かって、ピルロは激しい剣幕で怒鳴り付ける。
「仲間を置いて町を抜け出したんだ、お前も同じじゃねえか。偉そうなこと言ってんじゃねえぞ」
 ピルロは思い切りナギの脇腹を蹴り上げた。
 苦しい。息が、できない。ナギは苦悶の表情を浮かべた。
 ナギは声にならない呻き声を上げ、砂埃にまみれてのた打ち回った。
 ピルロはナギに、それ以上の暴力を加えることはなかった。その代わりに、冷たく一言を添えた。
「謝るなんて言ってたな。甘めえよ。謝って許されるなんて思うなよ」
 それはピルロの忠告だった。
「取り返しは、つかねえ」
 ピルロは地面に唾を吐きかけて一瞥すると、ゆっくりと立ち去っていった。
 脇腹を押さえ、苦痛に顔を歪め、地面に横たわったままピルロの後姿を見ていると、コソ泥仲間たちの口笛と歓声が一層うるさくなった。一人、そしてまた一人と店先へと出てくると、一同はナギの周りを取り囲んだ。
 その内の一人がナギに話しかける。
「おいお前、腹減ってんだろ? これ良かったら食えよ」
 男はそう言うと、手に持っていた食べかけのパンをナギの顔の横へ放り投げた。
 すかさず別の男が、へらへら笑いながら地面を蹴って、砂埃を巻き上げた。パンは砂を浴び、みるみる内に白く汚れた。
 集団はその様子を見てゲラゲラと下品に笑い、ピルロの後を追うように立ち去った。
 幸いにも暴力を加えてくる者はいなかった。しかし代わりに、町行く人々の好奇の視線に晒された。それは痛いほどだった。ナギに優しい声をかける者など、誰もいなかった。
「ふ、うう」
 段々、小さくゆっくりと呼吸ができるようになってきた。だがナギはまだ無理して立ち上がろうとはせず、そのまま呼吸が落ち着くまで横たわっていることにした。
 寝返りを打つと、目の前にパンが転がっている。
 ナギは手を伸ばしてパンを掴むと、砂埃を払った。一瞬の躊躇の後、思い切ってパンを口にほおばってみる。少し砂の臭さが鼻についたが、噛んでみると驚くほど芳醇な香りが口いっぱいに広がり、鼻を抜けていった。
 美味い。
 ナギは目を閉じた。回復し切らない呼吸の中で、ナギはさらに齧り付いた。
 誰かが笑った。とても惨めだった。とても悔しかった。
 だが、久しぶりに口にしたパンの味は、とても美味かった。

 

「異常なし」
「異常、なし」
 アンが確認すると、少し遅れてオンが続いた。しかしオンの声はつらそうだった。
「ああ、今日も嫌な時間がやってきた」
 オンは落胆した。
 アンは取り繕うように言った。
「大変だな、そっちは」
「くそっ、双子で、同じ仕事に就いてきたってのに、何で自分だけこんな目に」
 オンが忌々しそうに言うのは、西日のことだった。
 アンはずっと西を向いてきたので慣れているが、オンは日中の白い輝きには慣れているものの、赤い西日には目が慣れていない。
「そっちと同じ給金なのは納得がいかない。何とかならないものか」
 オンの愚痴が続く。アンを見るその目ははたして睨み付けているのか、それとも眩しくて目を細めているだけなのか分からない。
「そうは言っても、ベルベルル様にそんなこと言え……」
 アンは口を開いたが、ふと坂の上に人影が見えた気がして言葉を止めた。
 アンが目を凝らす。オンはその様子に気づき、自分も坂の上を見やった。
 日除けに手をかざしながら一段と目を細めて凝視すると、そこには一つのシルエットが浮かび上がっていた。

 

 


 

 坂下には、思っていたとおりベルベルルの兵隊がいた。ナギは、兵隊が二人ともこちらを見ていることに気づいた。
 強い風が叩きつけるように吹き上げてくる。
 それはあたかも、脱走者の帰還を拒む町全体の意思のように感じられ、ナギは少し臆してしまった。
「何してる、ここまで来たんだぞ」
 弱気になるな。ナギはゆっくりと坂を下り始めた。
 二人の兵隊が、こちらを凝視している。
 少し違和感を覚えながらも、ナギはゆっくりと向かい風の坂を下りた。
 兵隊は、部外者を町へ入れまいとする(入りの禁)として自分を拒むだろうか。それとも(出の禁)を侵した者への罰として自分を拒むのだろうか。
 考えを巡らせながら歩みを進める。兵隊の顔がはっきりと見え始めた。兵隊にも自分の顔がはっきりと見えていることだろう。果たして兵隊は、何者がやってきたのか気づくだろうか。
 ナギはこれまでになく緊張した。流石に手にするその槍で突然に襲い掛かってくるなんてことはないだろうが、一体どうなるものか……。
 兵隊の位置まで、あと少し。
 ふとナギは、感じていた違和感の理由に気づいた。兵隊が、二人ともこちらを見ているのだ。
 ゼフが町を訪ねてきて、自分がゼフに旅に連れて行ってほしいと懇願したあの時。兵隊は、一人は町の外のゼフの方を、もう一人は町の中の自分の方を向いていなかったか。
 今は自分しかいない。だから二人ともがこちらを見ているだけなのかもしれない。しかしそれにしては最初から、坂上に着いて一目見た時から、二人ともが町の外を向いていたような……。
 ナギは訝りながら、恐る恐る歩みを進めた。
 それにしても、二人の間隔が広い。こちらに気づいている割には、間を狭めて人の入りを禁じようとする様子が見受けられない。
 ナギはさらに歩みを緩め、一歩ずつ確かめるように進んだ。
 やがてナギは、二人の兵隊の目の前まで辿り着いた。
 だが兵隊は無言のままナギを見つめているだけで、一向に咎めてくる気配が一向にない。
 ナギは二人の反応を求めるように、次の一歩を踏み出し、そして二人の兵隊の間に、そっと片足を置いた。
 それでも尚、兵隊に動きはない。
「……あの」
 一体どうなっている。思わずナギが小さな声で話しかけると、一方の兵隊が悲しげな笑顔を浮かべた。
「途中で気づいたよ。久しぶりだな」
 予想だにしなかった言葉に、ナギは驚いた。もう一人を見ると、相棒と同じ表情でゆっくりと頷いて見せた。
「あの」
 何を、何と話せば良いのか。ナギが言葉に詰まっていると、一人が告げた。
「入りの禁はな、解除されたんだ」
「えっ」
「そう。出の禁もな」
 一方の言葉に驚いたのも束の間、もう一方からもそれは驚きの告白だった。
「え、どうして」
「今はただな、こうして町に危険が及ばないか、普通に見張りをしているだけだ」
 だから二人とも、町の外を見ていたのか。しかし、話が見えない。
 ナギは解せないとばかり、二人を交互に見比べた。
 ナギの気を察した片方は、お前が説明しろよと、目をこすりながら促した。もう片方は頬を掻いた。
「実は、ベルベルル様はな」
「ベル……どうしたの?」
 ベルベルルに、何かがあった?
「闇に、負けてしまったんだ」
「闇にって、どういうこと」
 ナギは詰め寄った。
「お前が町を出て、しばらくしてからだ。あの後もパウムが頑張ってたんだが、結局ダメになったんだ。な?」
 同調を求められ、片割れが引き取った。
「ああ、残念ながらな。詳しいことは分からない。ずっとペンキ塗りしてたんだ、闇に負けるということ、お前がいちばんよく分かってるんじゃないのか?」
「僕が」
 ナギには何も分からなかった。一体何があったというのか。闇に負けたとはどういうことか。結局ダメになったとはどういうことか。
 ナギは町へと続く坂を見上げた。
 ベルベルルはどうしたというんだ。パウムは。
 この目で確かめなくては。思うが早いか、ナギは坂を駆け出した。
「おい、ナギっ」
 ナギの背中に、どちらからともない呼び声がかかる。それは町を飛び出した時の、脱走者を咎める声とは異質なものだった。
 旅を経て体力のついたナギにとって、町に戻る側の坂は幾分緩やかなこともあり、それはまったく苦ではなかった。ぐんぐんと素早く駆け上がると、あっという間に坂上に辿り着いた。
 どれくらいぶりだろう。数ヶ月は経ったと思うが。ナギは肩で大きく息をつくと、生まれ育った故郷、ユカの町を望んだ。
 黄色い大地。点在して見える、似たり寄ったりの白い建物と家々。それらを覆う、西日がかかって薄紫色に染まった空。
 何も変わっていない。
 何も。
 安堵しかけた刹那、ナギは異様なものを目に留めた。
 ベルベルルの家。
「え」
 声が漏れた。ナギは目を疑った。ベルベルルの家の外壁が、信じられない程に黒くくすんでいる。
 思わず坂下を振り返るが、兵隊はただ静かにナギを見上げている。
 ベルベルル様は、闇に負けてしまったんだ――
 信じられない。変わらぬ町にぽつりと一つ、異彩を放つ黒い建物。ナギはぞっとした。
「どうして」
 どうして、ベルベルルの家だけ。五年もの間、毎日毎日ペンキを塗り続けた家。同じ町で、どうしてこうも違いが出るというのか。
 確認するため、ナギは駆け寄った。
 間近で見るベルベルルの家は、見るも無残に朽ち果てていた。町中の砂埃と汚れがここだけに吹き付けたとしか思えない程に、ざらざらで黒ずんでいる。それはまるで焚き火の跡の炭のようだった。
 壁の端を見ると、脚立が二脚、きちんと畳まれてもたれかかっていた。
 それが何に使われていた物なのか誰よりも知っているナギにとって、今や黒く朽ち果ててしまったこの壁ととても不釣合いなものに感じられ、妙に不気味に映った。
 住人はどうなっているのか。ナギは表へ回り、呼び鈴を鳴らした。
「ネルコ。僕だ、ナギだっ」
 ナギは叫んだ。
「ネルコ! ネルコーっ」
 ナギは何度も呼び鈴を鳴らし、何度も叫んだ。
 しかしネルコが出てくる様子はなかった。この家にはもはや生活感が感じられなかった。二階を見上げるが、誰かが窓から首を出してくる気配もない。
「ネルコ、いないのか」
 諦めて一歩退いた時、ふいに後ろから声をかけられた。
「ナギっ」
 そこには、ネルコが立っていた。
「ネルコ?」
「ナギ」
 互いに、頭のてっぺんから足の先までを観察し合う。
 間違いない、ネルコだ。
 ナギは確信した。
 ネルコは、ネルコのままだった。顔も、声も、あの時のまま。黒ずんでなんかいない。ネルコは闇に負けてなんかいない。
 二人は、見つめあった。
 町へ戻ったら何から話そうかと、道中しっかりと考えてきたはずだった。しかしネルコの顔を見るや否や、話すはずだった言葉がすべて吹き飛んでしまっだ。
「ネルコ、ごめん。僕……」
 用意していた言葉を失ったナギの口から自然とこぼれたのは、純粋な、謝りたいという気持ちだった。
 ネルコはその言葉を取りこぼさないように、ナギの胸に飛び込んだ。
「ナギっ」
「ネルコ」
 肌の温もり。におい。間違いなくネルコだ。ネルコがここにいる。
 ナギはネルコを強く抱き締めた。ネルコが、僕のかけがえのない友達が、ここにいる。
「ネルコ、ごめんよ」
「ナギ、おかえり」
「ネル……」
 ナギを抱き締める腕により一層の力が込められ、ナギは言葉を遮られた。
「おかえり」
 五年もの間、毎日顔を合わせていた思い出の場所で、二人は再会を喜ぶ思いをただひたすらその両腕に込めた。
 力を込めるほどに実感が伴い、やがてどちらからともなく嗚咽を漏らし始めた。
 二人はそのまま、薄紫色の空が赤に変わるまで、幼子のように泣きじゃくった。

 

 ユカの町に夕暮れが近づいていた。
 ナギは落ち着き払うと、ネルコの両肩を掴んだ。
「ネルコ、一体何があったんだい」
 ナギが黒い家を見上げたので、ネルコはナギの言わんとすることを悟った。
「パパはね、闇に負けるという思いが強過ぎたの。その思いに捉われてしまったの」
 鼻をすすりながら、ネルコも家を見上げた。
「ナギがいなくなってからも、パウムが一人でペンキ塗りを続けてくれたわ。だけど一人だと、一日かけても壁を二面しか綺麗にできなかった。分かるでしょう?」
 ナギは頷いた。二人がかりで丸一日作業だったのだ。一人だと、単純に作業量は半減してしまう。
「毎日毎日、二面だけ綺麗になる。残る二面は汚いまま。その内、闇の強さの方が強くなってきたの」
「闇の強さ?」
「ペンキが乗らなくなってきたの。多分、闇を恐れるパパの思いが強くなってきたんだと思う」
 強い思いが、現実になったというのだ。
 ――この世には、不思議な人間がいてな。強い思いを、現実の物にしてしまうらしいんだ。意図的ではないし、コントロールできるものでもないらしい。どちらかというと結果的、無自覚的なものだ。
 サキのケースと同じ?
 ネルコが語る。
「ある日ね、パウムが来なかったの」
「え、雨の日ってこと?」
 雨の日は仕事は休みだ。しかしパウムは、雨の日でも一度は訪れるはずではなかったか。
「ううん、晴れの日。だけど、来なかったの」
「どうして」
「それは」
 ネルコは目を伏せ、口ごもった。
「言ってくれよ」
「うん」
「パウムは?」
 ネルコは顔を上げた。
「来なくなった日の、前の日にね、パウムがパパに話があるって言ってきたの。それで、仕事が終わってからパパの部屋に案内したの。そしたら」
「そしたら?」
 つらい場面を思い出したくないという風に、ネルコは目を閉じた。
「もう嫌だって。もうこんな仕事は嫌だって、パパに怒鳴りだしたの」
 聞きたくなかった。ナギは息が詰まる気がした。
 パウムは、責任感を持って仕事に取り組んでいた。ナギが、仕事の意義について疑問を呈した時も、決して同調しなかった。
 双子の兄ピルロが積極的に行動を起こし、好きなことをするタイプであるのに対し、パウムは受身で、淡々と日々を過ごしているタイプだった。少なくとも周りにはそう感じさせていた。
 しかし、本当は。
「やっぱり、あいつも、つらかったのか」
 ネルコはうな垂れた。
「その次の日から、パウムは来なくなった。その日を境に、パパの思いが日増しに強くなっていって、どんどん」
 ネルコは今一度、黒く朽ちた家を見た。
「ベルベルルは、どうなったの」
 家は見ての通りだった。あとは、肝心の本人。その思いに捉われるベルベルル自身は一体どうなったのか。
「パパは、日に日に弱っていった。いつも何かに怯えているようになって。でも助けてもらえたの。今もずっとベッドに横になってるけど、なんとか……」
 ナギはハッとした。
「生きてるんだね? よかった」
 ナギは胸を撫で下ろした。
「でも助けてもらったって一体、誰に……ねえ今どこに、ネルコ、今どこにいるんだい?」
 質問がいっぱいだ。
 ネルコは微笑んだ。
「クルブさんとマチャさんよ」
「えっ」
 ナギは困惑した。
「そう、あなたのお父さんとお母さん。クルブさんとマチャさんが、助けてくれたの」
 ナギは目を丸くした。
「どういうことだい」
 ネルコはナギの腕を引っ張った。
「行くでしょう? 行きましょう。今あたしとパパは、あなたの家で住まわせてもらってるの。歩きながら説明するわ」

 

「あなたが町を飛び出した時、見えてたでしょう? 私はアンとオンに用事があるように見せかけて、詰め所で食い止めようとした」
 兵隊のことだ。ナギは頷いた。何の計画もなかった脱走劇。ネルコの計らいがなければきっとうまくいかなかっただろうと、今さらながらに思う。
「どうしてあの日、僕が坂へ向かうって分かったんだい?」
 ネルコは答えた。
「町を出るって言い出した次の日が雨なんですもの。仕事はない。うってつけよね?」
「だけど、時間まで」
「そこは大体よ。うまくいっても、いかなくても、どっちでも良かった。あなた、靴屋さんへ行ったでしょう」
 ネルコはナギの足元を見た。すっかり足に馴染んだ、ヴィンテージ・セロ。靴に罪はないし、ましてやきちんと金を払って購入したものだ。何も悪びれる必要はないはずだったが、脱走劇を振り返る会話の最中においては、何だか決まりが悪かった。セロもどこか罰の悪そうな顔をしているように見えた。
「靴屋さんが電話をくれたのよ。ナギが長靴を置いていったって。代わりにブーツを履いて行っちゃうし、明日からペンキ塗りはどうするんだろうって」
 ネルコは横目で笑った。ナギの家に電話はない。自然と雇用主の家に密告が入ったというわけだ。
「私はナギに、町の外へ行ってほしかったような、行ってほしくなかったような。今でもよく分からないけど、そんな気持ちでいたの。あの日だけじゃない、ずっと昔からよ」
 ネルコは前を見ながら続けた。
「パパが、あなたやパウム、ピルロたちを苦しめていたことが、私には苦しかった。パパも悪気なんてなかったの。ただ本当に、みんなが自分と同じような目に遭わないようにと思ってたの。でもそれが、別の形で町の若者を苦しめてたってこと、パパも段々分かってきてたの。でも闇への恐怖から、どうすることもできなかった」
 今にして思えば、色々と分かることがある。ナギは頷いた。
 前方に噴水が見えた。毎日毎日、小石を拾っては投げつけていたターゲット。心のどこかで、やるせない日々、そこからくるやり場のない怒りの矛先をあの噴水に向けていたのかもしれない。
「娘の私が、出の禁を破る手助けをしたとあって、パパは悩んでた。そんな中、おじいちゃんが亡くなったの」
「おじいちゃんって」
 ベルベルルの父、前町長のことだ。ナギは思わず来た道を振り返り、すっかり黒ずんでしまった家を見た。
 息子が足の自由を失うほどの大怪我を負い大きな怒りと悲しみにくれ、部外者が町を訪れることを禁ずる(入りの禁)を公布した人物。
 恐らくはゼフを恨んでやまなかっただろう。あるいはそんなゼフをもてなした自分自身をも呪っていたかもしれない。
「おじいちゃん、九十歳になるちょっと前だったの。もう歳だったからね」
 ネルコの言い分と表情から察するに、苦しまずにすんだ自然的な老衰だったのだろう。ナギはそう察した。
「私とナギが侵した(出の禁)の問題を抱えてる中、おじいちゃんが亡くなって、悲しみにくれる間もなく、おじいちゃんが公布した(入りの禁)について考えさせられる事態になった。その後に、さっき話したパウムの問題が出てきて」
「それで、ベルベルルは」
「うん。どんどん弱っていったの」
 自分のやってしまったことが引き金で、そんなことが起きていったなんて。ナギはまた、息が詰まるような感覚を覚えた。
 二人は噴水がよく見えるところまできた。噴水が放つ放物線は、単調だがきらきらと輝く透明の花弁のようで、中々に美しいと思えた。この噴水がなければ、黄色く乾いた大地が印象強いこの町は、もっとからからで人間に厳しい様相を呈していたかもしれない。
 噴水を眺めていると、息苦しさから少し解放されるような気がした。
「ある日ね」
 ネルコの声のトーンが変わった。ネルコは希望を感じさせる目でナギを見た。
「マチャさんが、うちを訪ねてくれたの」
「母さんが」
 二人が角を曲がると、毎日通り過ぎていた鉄工所が見えた。大きく開け放たれた工場の入り口から、中がよく見える。以前はまったく同じような鉄の棒が山積みになされているだけとばかり思っていたが、よく見ると、長い物、短い物、太い物と細い物、真っ直ぐの物や角度がつけられている物など、様々な形の物が造られているということが分かった。
 道端に座り込んで作業に勤しむおじさんがこちらに気づき、声をかけてくる。
「や、どうも、お世話になっています。おや、そっちは」
 途中で声の調子が変わった。おじさんは驚いた顔でナギを見た。
 ナギは照れくさそうに会釈した。
「ナギです。おじさん、久しぶり」
 出の禁、入りの禁のことは、町の人間なら誰でも知っている。おじさんは、そうかい、そうかいと、ナギとネルコの顔を見比べ、事態を察したようだった。
 二人で頭を下げ、鉄工所を横切る。いよいよ、家路に着く。
「で、ネルコ、母さんが来たって」
 まだ話は終わっていない。ナギは続きを急かした。
「うん。簡単な話よ。家がどんどん黒くなっていくのが町でも騒ぎになってて。マチャさん、うちの子が迷惑をかけましたって謝りに、様子を見に来てくれたの」
 ナギは気恥ずかしくなり、思わず俯いた。
「それで色々話したらね、狭いけど、気持ちを切り替えて、ここで新たに生活してみてはどうですかって」
「母さんが、うちに住むことを提案したってのかい? 何でまた」
 ネルコは答える代わりに、家の扉に手をかけた。
「そうね、あとはマチャさんに聞いて」
 ネルコは白い歯を覗かせると同時に、扉をガチャリと開けた。

(次回、最終回)

 

 

 


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